日記のお引越し
2005年1月15日だいあり〜の〜との日記は、これで最後とします。
別のブログに引っ越します。で、そこは完全に備忘録、感じたこと垂れ流しのメモにします。
ほんとは、だいあり〜の〜とで続けたかったんですが、バックアップ機能がなかなかつかないので、ちょっと痺れを切らしまして。
読んでくださった方、どうもありがとね。
今度こそ、ほんとのほんとに最後の更新です。
もし、また「なみこ」で何かしたくなったときには、別の日記になっていることでしょう。
どうぞ皆様、お元気で。
別のブログに引っ越します。で、そこは完全に備忘録、感じたこと垂れ流しのメモにします。
ほんとは、だいあり〜の〜とで続けたかったんですが、バックアップ機能がなかなかつかないので、ちょっと痺れを切らしまして。
読んでくださった方、どうもありがとね。
今度こそ、ほんとのほんとに最後の更新です。
もし、また「なみこ」で何かしたくなったときには、別の日記になっていることでしょう。
どうぞ皆様、お元気で。
嗚呼、死産!
2004年12月6日うーん、我ながら、インパクトのあるタイトルだこと。
っつぅわけで、死産しちゃいました。
妊婦日記の、まあ、これも一つの劇的な終焉だわねぇ。
このあいだ死亡胎児を産んだばっかなので、今すぐ日記書くのは難しいけど、適宜、記録していこうかなと思ってます。
「流産、死産に興味はあるけど、なかなか人に聞けなくて困ってた」というそこのアナタ!
是非、読んでって頂戴ね。
一応、日にちに忠実に、過去の日記を書き足していく形で記録することにしたわ。
というわけで、読む方は下のほうからどうぞ。
っつぅわけで、死産しちゃいました。
妊婦日記の、まあ、これも一つの劇的な終焉だわねぇ。
このあいだ死亡胎児を産んだばっかなので、今すぐ日記書くのは難しいけど、適宜、記録していこうかなと思ってます。
「流産、死産に興味はあるけど、なかなか人に聞けなくて困ってた」というそこのアナタ!
是非、読んでって頂戴ね。
一応、日にちに忠実に、過去の日記を書き足していく形で記録することにしたわ。
というわけで、読む方は下のほうからどうぞ。
火葬の日2
2004年12月3日焼き始めてから40分ほどして、案内係から清算を言われて支払い。間もなく、同じ案内係から、終わったという連絡を受けたわ。
業者に伴われて窯の前に移動。
窯の前のステンレスの台の上に、いくらかの黒い炭と、2〜3欠片の白い薄い骨が載ってたの。このまま、くしゃみをすれば、すべて四散するほどよ。笑っちゃうわね。散骨について、案ずるまでもなかったわ。
斎場の社員が「黒いものが棺です、白いものがご遺骨です」ですって。わかるっつぅの。
「失礼致します」と一礼して、社員が別の盆に骨を移していく。業者が社員に、「ここに、あそこに」と細かい骨を拾わせ、また、炭をよけさせていく。
若干炭の混じった遺骨が盆に載せられ、場所を窯の前から、左側面の壁際に移動。
「10万円貯まる貯金箱」より少し大きいくらいの骨壷がテーブルの上に載ってて、正面には「朝田 男児」と書いてある。胎児名がついてたから、それを知らせるべきだったかしら。
「では、お二人で箸をお持ちになって、一緒にお骨を持って、壷にお納めください」
「すみませんが、一人一人でやらせてください」ってたのんで、あたしと彼はそれぞれ箸を取って、それぞれで骨を拾って、骨壷に入れたわ。
2つ拾った時点で社員に交代。小さな箒とちりとりのようなもので骨を集め、骨壷にすべて収められるの。
骨壷は白い袋に入れられ、その上から白い布で包まれ、渡されたわ。
以上ですべて終了。
業者に礼を言い、お別れ。
包んでいた白い布を外し、代わりにバーバリーの犬の柄の大判ハンカチで包みなおしたわよ。だって、なんだかイヤじゃない。ハンカチで包んだから、一応、傍から見ると、骨壷には思えなくなったわ。それから持ってきた紙袋に入れたの。
斎場にタクシーがいなかったので、一旦バスで五反田に。
ついでに、五反田の駅のパン屋に寄ったの。
カスタードクリーム入りのメロンパンが、どこのパン屋よりも超おいしい! だから、それと夕飯用のパンを購入。
タクシーに乗ってご帰宅よ。
夕食後、不育症について検索したわ。代表的な事例として幾つか上がっていたもののほとんどは、医師の言ったとおり、妊婦検診中に私が受けた検査で判明するものだったことがわかって。大体は、ドラマティックな解決法なんてないものね。
来週、彼が私の職場に挨拶と手続きに行くこと、それに備えて明日、手土産を買いに行くことなどを決め、いろいろなことを、ぐだぐだと話して就寝したってわけ。
さて。
思いのほか、時間がかかっちゃったけど、これが、今回の死産のすべてよ。
あとは、現在形で、考えてることなんかが、書けるといいなって思ってるんだけど、どうしようかな。
とりあえずは、ここまでってことで。
業者に伴われて窯の前に移動。
窯の前のステンレスの台の上に、いくらかの黒い炭と、2〜3欠片の白い薄い骨が載ってたの。このまま、くしゃみをすれば、すべて四散するほどよ。笑っちゃうわね。散骨について、案ずるまでもなかったわ。
斎場の社員が「黒いものが棺です、白いものがご遺骨です」ですって。わかるっつぅの。
「失礼致します」と一礼して、社員が別の盆に骨を移していく。業者が社員に、「ここに、あそこに」と細かい骨を拾わせ、また、炭をよけさせていく。
若干炭の混じった遺骨が盆に載せられ、場所を窯の前から、左側面の壁際に移動。
「10万円貯まる貯金箱」より少し大きいくらいの骨壷がテーブルの上に載ってて、正面には「朝田 男児」と書いてある。胎児名がついてたから、それを知らせるべきだったかしら。
「では、お二人で箸をお持ちになって、一緒にお骨を持って、壷にお納めください」
「すみませんが、一人一人でやらせてください」ってたのんで、あたしと彼はそれぞれ箸を取って、それぞれで骨を拾って、骨壷に入れたわ。
2つ拾った時点で社員に交代。小さな箒とちりとりのようなもので骨を集め、骨壷にすべて収められるの。
骨壷は白い袋に入れられ、その上から白い布で包まれ、渡されたわ。
以上ですべて終了。
業者に礼を言い、お別れ。
包んでいた白い布を外し、代わりにバーバリーの犬の柄の大判ハンカチで包みなおしたわよ。だって、なんだかイヤじゃない。ハンカチで包んだから、一応、傍から見ると、骨壷には思えなくなったわ。それから持ってきた紙袋に入れたの。
斎場にタクシーがいなかったので、一旦バスで五反田に。
ついでに、五反田の駅のパン屋に寄ったの。
カスタードクリーム入りのメロンパンが、どこのパン屋よりも超おいしい! だから、それと夕飯用のパンを購入。
タクシーに乗ってご帰宅よ。
夕食後、不育症について検索したわ。代表的な事例として幾つか上がっていたもののほとんどは、医師の言ったとおり、妊婦検診中に私が受けた検査で判明するものだったことがわかって。大体は、ドラマティックな解決法なんてないものね。
来週、彼が私の職場に挨拶と手続きに行くこと、それに備えて明日、手土産を買いに行くことなどを決め、いろいろなことを、ぐだぐだと話して就寝したってわけ。
さて。
思いのほか、時間がかかっちゃったけど、これが、今回の死産のすべてよ。
あとは、現在形で、考えてることなんかが、書けるといいなって思ってるんだけど、どうしようかな。
とりあえずは、ここまでってことで。
火葬の日1
2004年12月3日自宅の醍醐味、起きたのは朝の9時。
このところ、早かったからねぇ。
彼は先に起きてたわ。
起きてまず、安置室や斎場でやらなければならない儀式的な手順を、父の葬儀を思い出しながら、一通り彼に説明したの。
焼香、二人で箸を持って一緒に骨を摘むことなど、彼が避けるべきと思われる宗教行為をチェックして、対応を考えておくってわけ。
10時45分ごろだったかな。自宅を出たわ。
悩んだのは服!
喪服か黒っぽいスーツかと悩んだんだけど、いずれ着ようと思っていたベージュのチェックのマタニティワンピースを着て、上に薄いベージュの綿のコートを着たわ。
今思えば、こういうとき用に、帽子を買っておくんだったなー。
惨めっぽいのも、哀れっぽいのもいやじゃない。
彼はあたしにあわせて茶の、イタリアンスタイルのスーツを着ることにして。
そしてまずは、区役所に死産届を出すのよ。
で、埋葬許可証をもらうの。
通常の死亡届といっしょよねぇ。
戸籍に掲載されないってだけでさ。
結局、12時30分には病院に着いて、昼食。
13時30分に、待ち合わせ場所である、分娩フロアのエレベーター前に行ったわ。
自分が処置を受けたNICUも、このフロア。
エレベーター前の待合室では、娘の出産を待っているらしき年輩の夫婦を含めた数人の家族がいたのよ。
助産師や看護婦の「もう生まれました」「かわいいですよ」などの声が聞こえるし。結構正念場よね。
で、驚いたのは、待合室の前を、たまたまドクターグレイが通りかかって。
彼が先に気づいて会釈。ドクターグレイは、「なぜいるんだ?」というような怪訝な顔をしつつ通過してったわ。
14時を少しまわって業者さんが登場。
助産師に声を掛けて、遺体を持ってきてもらって、包んでいるタオルごと受け取ったの。婦長や私を担当してくれた数人の助産師が出てきてくれたので挨拶したわ。
「他にも担当者はいますか?」と聞かれて、あたし、数人の名前を挙げたんだけど、全員を思い出せなかった。もう、悔しいったら。
そこからは業者と彼と私と三人で、地下の安置室へ。
業者がもう一人、待機してた。
小さく区切られた部屋が二室ほどあり、そのうちの1室に通されたの。部屋の正面に、白い布を掛けた折卓と思しき台があり、その上に、小さな棺おけがあったわ。
その上には、青銅色の仏像が、壁に作りつけてあるガラス戸の棚に入ってて。
部屋の側面には白い布を掛けた同じ台に造花を生けた壷が2つ、並んでて。
「クリスチャンだから焼香はなしです」と業者が、待機していた同僚に声を掛けてた。
その後、あたしに向かって、
「頭はどちらですか」
「こっちです」
遺体を業者に渡し、業者が棺おけに遺体を入れる。
側面にあった折卓を棺おけを置いた折卓の前に配置すると、ちょうど、花の間に棺おけが来て、その正面に仏像が来る配置に。
「合掌だけ、お願いします」
って、業者は退室。外で、電話をしている声。
「もうご遺族、準備終わってるんです。クリスチャンなので焼香はなしで。火葬場、もう行けますか?」
あたしだけ、合掌。
電話を終えた業者が入ってきて、「ちょっと喪主の方に書いていただく必要のある者があるので、ご主人、お願いできますか」
このことについては、彼とあたしは相談していなかった。だからあたしが、勝手に判断して、業者の言葉に従わず、自分で各種書類に記入したわよ。
喪主の欄には、あたしの名前。遺児の名前を書く欄もあって手が止まったけど、書かない旨伝えたわ。
その後、再び安置室に。
花の置いてある折卓をよけて、棺おけに近寄り、蓋を開けて顔を眺めて過ごしてた。
助産師が一人、安置室に来て合掌。他の助産師も来るとの事。
3人の助産師が続けてやってきたわ。
合掌はなく「お顔を見せていただいていいですか」と言われて、どうぞと案内。
「かわいいね」などと言われてた。
助産師があたsに「つらいと思うので、ゆっくり休んでくださいね」「いろいろ話を聞いてくれそうな旦那さんでよかったね」などの声を掛けてくれ、夫には「奥さんをよく支えてくださいね」「労わってあげてね」と声を掛けている。やっぱり父親は損だ。
準備ができたとのことで、棺に蓋をし、移動。
「ご遺族の方、どうぞ」
と棺おけを持つように指示されたので、あたしが。
手触りは、ざらざらしていた。重い。あたし小柄でしょ、棺はそれなりに大きいので手がまわりにくかったから、余計重く感じたわよ。
で、そんなときに限ってエレベーターがなかなか来ないの!
助産師が「だいじょうぶ?」と声を掛けてくれたくらいよ。
彼に「こんなに重くなるくらい、育てばよかったのにね」なんて殊勝なことを言ったわ。
案内されたところは、外に通じる出口で、軽自動車が待機してた。婦長さんも見送りに来てた。
「お世話になりました」って皆さんに挨拶して車に乗る。
棺は膝の上に載せた。重さが膝に来たわ。
タオルはともかく、保冷剤も一緒に燃やして大丈夫なのかしらなんて思って。
車が発車し、病院の門に向かう。婦長さんたちは、見える間ずっと、あたし達を見送ってくれていたの。最後に手を振ったわ。
広尾の高級住宅街を抜けて目黒方面、そして斎場へ。
あたしが、「あー、金ほしい」なんて言ってるあいだ、彼が「この子の初めてのドライブだね」と言うのよ。
今回、皆して、あたしを泣かせにかかってると思ったわね。
車の右手から入ってくる西日が眩しかったわよ。
桐ヶ谷斎場に到着。斎場なのに、赤いコートの婦人が目を引いたわ。
門を入ってすぐ左の建物の前で下りる。屋内に、窯の扉が10個ほど並んでて。
業者から、焼く窯のところに名前を出さなければいけないと言われたから、姓だけで、と。
業者が何処かに行った後、戻ってきて「朝田 男児 殿」になった、と言われたわ。
右から3つ目に案内され、棺をステンレスの台の上に置いたの。
「クリスチャンだから焼香はなしです」と、焼香台を出しかけた斎場の社員を、業者が押しとどめてて、この言葉、もう何回目かしら。
窯の扉が開かれる。ステンレスの台から、窯の中の台に、棺が移って行く。釜の中とその台は黒く煤けている。
窯の扉が閉まり、焼いているということが分かるようにランプが灯り、斎場の社員が合掌する。
終わるまで1時間ほど係るんですって。
業者から斎場の案内係へと私達は受け渡され、待合所に案内されたわ。円卓が5つ並んでいて、テーブルの上には湯飲みと大きな急須と手拭、乾き物や折り詰め、ビールなどのメニューが置いてあるのよ。おきまりねぇ。
案内された場所でお茶を飲んでたら、隣のテーブルに6人ほどのグループが座り、後から坊主が来たの。親族の一人が坊主に心づけを渡してたわ。で、これもパターンの坊主の説教開始。彼は、珍しいらしくて、それを面白そうに聞いていた。
あたしはトイレに立ちがてら、斎場の中を見て回ったわ。
だって、芸能人が、葬式やるようなとこなのよ。見なきゃ、損じゃん。
あたし達がいるところとは違う、個室になっている広い待合室が10ほど、業者用の待合所、簡易な喫茶室、乾き物や数珠などを売っている売店、「特別式場」と銘打たれた場所などいくつかの豪華な雰囲気の入口の式場があったわ。入口からそれらの式場や待合室への作りなどは、ホテルのロビーみたいな雰囲気。広く取られた窓から、西日が差し込んでいた。もう閉まる直前なので、閑散としてた。
このところ、早かったからねぇ。
彼は先に起きてたわ。
起きてまず、安置室や斎場でやらなければならない儀式的な手順を、父の葬儀を思い出しながら、一通り彼に説明したの。
焼香、二人で箸を持って一緒に骨を摘むことなど、彼が避けるべきと思われる宗教行為をチェックして、対応を考えておくってわけ。
10時45分ごろだったかな。自宅を出たわ。
悩んだのは服!
喪服か黒っぽいスーツかと悩んだんだけど、いずれ着ようと思っていたベージュのチェックのマタニティワンピースを着て、上に薄いベージュの綿のコートを着たわ。
今思えば、こういうとき用に、帽子を買っておくんだったなー。
惨めっぽいのも、哀れっぽいのもいやじゃない。
彼はあたしにあわせて茶の、イタリアンスタイルのスーツを着ることにして。
そしてまずは、区役所に死産届を出すのよ。
で、埋葬許可証をもらうの。
通常の死亡届といっしょよねぇ。
戸籍に掲載されないってだけでさ。
結局、12時30分には病院に着いて、昼食。
13時30分に、待ち合わせ場所である、分娩フロアのエレベーター前に行ったわ。
自分が処置を受けたNICUも、このフロア。
エレベーター前の待合室では、娘の出産を待っているらしき年輩の夫婦を含めた数人の家族がいたのよ。
助産師や看護婦の「もう生まれました」「かわいいですよ」などの声が聞こえるし。結構正念場よね。
で、驚いたのは、待合室の前を、たまたまドクターグレイが通りかかって。
彼が先に気づいて会釈。ドクターグレイは、「なぜいるんだ?」というような怪訝な顔をしつつ通過してったわ。
14時を少しまわって業者さんが登場。
助産師に声を掛けて、遺体を持ってきてもらって、包んでいるタオルごと受け取ったの。婦長や私を担当してくれた数人の助産師が出てきてくれたので挨拶したわ。
「他にも担当者はいますか?」と聞かれて、あたし、数人の名前を挙げたんだけど、全員を思い出せなかった。もう、悔しいったら。
そこからは業者と彼と私と三人で、地下の安置室へ。
業者がもう一人、待機してた。
小さく区切られた部屋が二室ほどあり、そのうちの1室に通されたの。部屋の正面に、白い布を掛けた折卓と思しき台があり、その上に、小さな棺おけがあったわ。
その上には、青銅色の仏像が、壁に作りつけてあるガラス戸の棚に入ってて。
部屋の側面には白い布を掛けた同じ台に造花を生けた壷が2つ、並んでて。
「クリスチャンだから焼香はなしです」と業者が、待機していた同僚に声を掛けてた。
その後、あたしに向かって、
「頭はどちらですか」
「こっちです」
遺体を業者に渡し、業者が棺おけに遺体を入れる。
側面にあった折卓を棺おけを置いた折卓の前に配置すると、ちょうど、花の間に棺おけが来て、その正面に仏像が来る配置に。
「合掌だけ、お願いします」
って、業者は退室。外で、電話をしている声。
「もうご遺族、準備終わってるんです。クリスチャンなので焼香はなしで。火葬場、もう行けますか?」
あたしだけ、合掌。
電話を終えた業者が入ってきて、「ちょっと喪主の方に書いていただく必要のある者があるので、ご主人、お願いできますか」
このことについては、彼とあたしは相談していなかった。だからあたしが、勝手に判断して、業者の言葉に従わず、自分で各種書類に記入したわよ。
喪主の欄には、あたしの名前。遺児の名前を書く欄もあって手が止まったけど、書かない旨伝えたわ。
その後、再び安置室に。
花の置いてある折卓をよけて、棺おけに近寄り、蓋を開けて顔を眺めて過ごしてた。
助産師が一人、安置室に来て合掌。他の助産師も来るとの事。
3人の助産師が続けてやってきたわ。
合掌はなく「お顔を見せていただいていいですか」と言われて、どうぞと案内。
「かわいいね」などと言われてた。
助産師があたsに「つらいと思うので、ゆっくり休んでくださいね」「いろいろ話を聞いてくれそうな旦那さんでよかったね」などの声を掛けてくれ、夫には「奥さんをよく支えてくださいね」「労わってあげてね」と声を掛けている。やっぱり父親は損だ。
準備ができたとのことで、棺に蓋をし、移動。
「ご遺族の方、どうぞ」
と棺おけを持つように指示されたので、あたしが。
手触りは、ざらざらしていた。重い。あたし小柄でしょ、棺はそれなりに大きいので手がまわりにくかったから、余計重く感じたわよ。
で、そんなときに限ってエレベーターがなかなか来ないの!
助産師が「だいじょうぶ?」と声を掛けてくれたくらいよ。
彼に「こんなに重くなるくらい、育てばよかったのにね」なんて殊勝なことを言ったわ。
案内されたところは、外に通じる出口で、軽自動車が待機してた。婦長さんも見送りに来てた。
「お世話になりました」って皆さんに挨拶して車に乗る。
棺は膝の上に載せた。重さが膝に来たわ。
タオルはともかく、保冷剤も一緒に燃やして大丈夫なのかしらなんて思って。
車が発車し、病院の門に向かう。婦長さんたちは、見える間ずっと、あたし達を見送ってくれていたの。最後に手を振ったわ。
広尾の高級住宅街を抜けて目黒方面、そして斎場へ。
あたしが、「あー、金ほしい」なんて言ってるあいだ、彼が「この子の初めてのドライブだね」と言うのよ。
今回、皆して、あたしを泣かせにかかってると思ったわね。
車の右手から入ってくる西日が眩しかったわよ。
桐ヶ谷斎場に到着。斎場なのに、赤いコートの婦人が目を引いたわ。
門を入ってすぐ左の建物の前で下りる。屋内に、窯の扉が10個ほど並んでて。
業者から、焼く窯のところに名前を出さなければいけないと言われたから、姓だけで、と。
業者が何処かに行った後、戻ってきて「朝田 男児 殿」になった、と言われたわ。
右から3つ目に案内され、棺をステンレスの台の上に置いたの。
「クリスチャンだから焼香はなしです」と、焼香台を出しかけた斎場の社員を、業者が押しとどめてて、この言葉、もう何回目かしら。
窯の扉が開かれる。ステンレスの台から、窯の中の台に、棺が移って行く。釜の中とその台は黒く煤けている。
窯の扉が閉まり、焼いているということが分かるようにランプが灯り、斎場の社員が合掌する。
終わるまで1時間ほど係るんですって。
業者から斎場の案内係へと私達は受け渡され、待合所に案内されたわ。円卓が5つ並んでいて、テーブルの上には湯飲みと大きな急須と手拭、乾き物や折り詰め、ビールなどのメニューが置いてあるのよ。おきまりねぇ。
案内された場所でお茶を飲んでたら、隣のテーブルに6人ほどのグループが座り、後から坊主が来たの。親族の一人が坊主に心づけを渡してたわ。で、これもパターンの坊主の説教開始。彼は、珍しいらしくて、それを面白そうに聞いていた。
あたしはトイレに立ちがてら、斎場の中を見て回ったわ。
だって、芸能人が、葬式やるようなとこなのよ。見なきゃ、損じゃん。
あたし達がいるところとは違う、個室になっている広い待合室が10ほど、業者用の待合所、簡易な喫茶室、乾き物や数珠などを売っている売店、「特別式場」と銘打たれた場所などいくつかの豪華な雰囲気の入口の式場があったわ。入口からそれらの式場や待合室への作りなどは、ホテルのロビーみたいな雰囲気。広く取られた窓から、西日が差し込んでいた。もう閉まる直前なので、閑散としてた。
退院
2004年12月2日この日の朝、6時半の検温の後、看護婦さんに9時になったら、外来に行くように言われたわ。
朝食を済ませて、パジャマのまま、9時に外来へ。
今度は、産科ではなくて、婦人科の外来へ行ったの。
あたしと同じぐらいのOLさんって感じの人が多くって、産科よりみんな、ぱりっとしたカッコしてるから、パジャマ姿のあたしは、ちょっと気まずくなっちゃった。
で、入院患者なのに、待たすこと待たすこと、ドクターグレイったら、ここらへん、容赦ない。
でも、一応、ドクターグレイには今回のことで、信頼を寄せてるからさ、ドクターグレイが待てというなら待つだけの理由があるんだろうって思えて気楽だったわ。
で、1時間ほど待って診察。
診察のために下着を脱ぐんだけど、出血しちゃって、大変だったわよ。
看護婦さんは優しく気にしないように言ってくれるんだけど、診察室の床、スプラッタ状態にしちゃった。
結局、診察の結果、退院してもいいでしょうってことに。
「ただ、普通なら、このまま1週間、入院してもらわなきゃいけないような状態なんだからね!」
って、ドクターグレイにしっかり釘を刺されました。
で、
「1週間ってことは、その後、仕事に出ていいですか?」
って聞いた間抜けなあたし。
そうしたら、信じられない言葉が帰ってきたのよ。
「いや、1月初めか中ぐらいまでは、休んでください」
それって、これから1ヶ月休むってコト!?と仰天したあたしは思わず
「あ、じゃ、診断書とかいただけますか?」
「なんで?」
「職場に提出しないと」
「いや、法律で出勤しちゃいけないことになってるから、それ、いらないはずだよ」
呆然としたあたしに、ドクターグレイは続けて
「出産なんだから、産休になるんだよ。もし、それでも診断書が必要だったら、書いてあげるから連絡して」
ですって。
・・・産休。
中絶可能期間中だったから、すっかり軽く考えてたの。
っていうか、赤ん坊の世話がないのに、そんなに休む必要なんてないと思ってたの。
ところが、本来、産後休暇って、母体のためだったのよね。
赤ん坊の有無は関係ないっていうか、育児休業の守備範囲なのよ。
自分が人事にいるくせにすっかり忘れてたけど、産後、母体はとても弱ってるし感染症の危険もあるから、十分安静にしなきゃいけないって、自分で産休を取る社員に説明した気がするようなしないような・・・。
1週間で職場に復帰すれば、当初の検査入院の予定とそれほど変わらないし・・・なんて考えてたあたしのプランはあっさりと瓦解したわ。
その後は、次の診察の予約をして、また病室へ。
採血や薬の処方は、みんな病室でやってもらえるの。
入院患者って楽でいいわね。
って、思ってたんだけど、この採血で、小さな事件が。
担当してくれた看護婦さんが、本当に採血が下手だったのよ。
最初、左腕に針を刺したんだけど、試験管には全然血が入らなくて、脇からたらーりとこぼれてしまう始末。
次に、右腕からなんとか採血したんだけど、その後の止血がうまくいかなくて、左からもだらだらと流血。
あたしのベッドとパジャマはすっかり血だらけ。
おまけに、後日、両腕とも
「打ってるっしょ、シャブ」
って腕になっちゃって。
退院前に、思わぬハプニングがあったわ。
とは言え、お昼を食べて、無事退院。
今日は彼は仕事だったので、適当に一人で着替えて、一人で退院の手続きして、看護婦さんたちに挨拶して。
妊娠してたときは、転ばないように、人とぶつからないようになんて気にしてたし、入院中は体がだるくてだらだらと猫背に歩いてたけど、着替えた後のあたしの体型は、すっかり「ないすばでぃ」に戻っちゃってて、くびれたウェストは誰にぶつかる気遣いもなく、ロビーを歩きながら、いつしか、自ずと顔を上げて背筋を伸ばしてたわ。
ただ、ドクターグレイと彼からの厳命どおり、タクシーで帰りました。幸い、運転手さんも、いい人だった。
それにしても、病院を出るとき、「嗚呼、あの子を一人で病院に残して出るなんて・・・」っておセンチなことも考えちゃったわよ。やぁねぇ。
タクシーの中から、道行く子どもを見たりすると、
「これから何年か先、あたしは、「あの子が生きてたら、アレくらいの年」なんて考えたりするのかしらね」
なんて、思ってた。
それにしても、入院なんて、ほんの数日のことなのに、死を経験してからの外の世界って、どうして、こんなに色鮮やかに見えるのかしらね。
なんだか、道行く生気溢れる人々を、しみじみと眺めてしまったわ。
まあ、そんなわけで帰宅したものの、まだ腹痛も出血も、かなりなものだったので、そのままパジャマに逆戻りして布団の中へ。
頭の中が整理できてる自信はなかったから、職場への連絡は翌日にすることにして、惰眠を貪ったの。
彼が帰ってきてからは、明日行く斎場のことや、散骨のことを調べたりして。
今って、散骨は、特に許可は要らないのね。
きちんと砕いて、私有地じゃない場所、人の迷惑にならないところに撒く分には問題ないみたい。
実母から、亡くなった父の骨壷に一緒に入れたいって言われたんだけど、断ったわ。
彼がクリスチャンだから、自分の子を仏壇に上げることにはためらいがあった、っていうのが直接的な理由ではあるけど、あたしとしても、目の前に残したら、絶対この先、自分が縛られるって思ったの。形あるものの力は大きいからさ。あたしの子どもなんだから、あたしの考えで葬らせてもらってもいいでしょう。
結局、母には、後者の理由だけ説明して断ったわ。
そしてその日の夜は、彼と、亡くなったあの子の話をしながら眠ったわ。
彼もね、遺体だってわかっているのに、家に連れて帰りたかったって。
あんなグロテスクなはずのものが、かわいくて仕方なく見えたって。
子どもができるかできないかじゃなくて、あの子が死んじゃって、もう生きてないことが悲しいって。
それから、子どもを産んでからのあたしにびっくりしたって。
確かに、子どもを愛せないかも、なんて言ってたあたしが、あれだけの醜態晒したからねぇ。
子どもが産まれたら、勝てないかも、って思ったんですって。
確かにねぇ・・・今は、そうは思わないけど、出産数日のあいだって、「この子の敵か味方か?」っぽい感情でいたから、その時期に夫が子どもに何かよくないことでもしようものなら、「敵!」っつって飛び掛ってたわね、きっと。シャーッって感じで。(どういう感じだ?)
変なの。
でも、子どもを亡くしたとき、二人だったから、まだよかった。
少なくとも、自分の感情に近い人が一人いる、それだけで救われたわ。
それに、あたしを助けようとしてくれる友達が何人かいて、本当にそれはありがたいと思ったわ。
あたしがヘタレで、どうしてもすぐに人と会ったり話したりできなくて、その何人かの友達には申し訳なかったけど、メールをもらったりして、すごく嬉しかった。ほんの一言でいいの。ありふれた言葉でもいい、「何を言ったらいいのかわからない」って一言でもいい。ほんの一言あるかないかで、全然、違うの。
一人でこれに耐えてるお母さんもいるわけじゃない。本当に大変だと思うわ。
朝食を済ませて、パジャマのまま、9時に外来へ。
今度は、産科ではなくて、婦人科の外来へ行ったの。
あたしと同じぐらいのOLさんって感じの人が多くって、産科よりみんな、ぱりっとしたカッコしてるから、パジャマ姿のあたしは、ちょっと気まずくなっちゃった。
で、入院患者なのに、待たすこと待たすこと、ドクターグレイったら、ここらへん、容赦ない。
でも、一応、ドクターグレイには今回のことで、信頼を寄せてるからさ、ドクターグレイが待てというなら待つだけの理由があるんだろうって思えて気楽だったわ。
で、1時間ほど待って診察。
診察のために下着を脱ぐんだけど、出血しちゃって、大変だったわよ。
看護婦さんは優しく気にしないように言ってくれるんだけど、診察室の床、スプラッタ状態にしちゃった。
結局、診察の結果、退院してもいいでしょうってことに。
「ただ、普通なら、このまま1週間、入院してもらわなきゃいけないような状態なんだからね!」
って、ドクターグレイにしっかり釘を刺されました。
で、
「1週間ってことは、その後、仕事に出ていいですか?」
って聞いた間抜けなあたし。
そうしたら、信じられない言葉が帰ってきたのよ。
「いや、1月初めか中ぐらいまでは、休んでください」
それって、これから1ヶ月休むってコト!?と仰天したあたしは思わず
「あ、じゃ、診断書とかいただけますか?」
「なんで?」
「職場に提出しないと」
「いや、法律で出勤しちゃいけないことになってるから、それ、いらないはずだよ」
呆然としたあたしに、ドクターグレイは続けて
「出産なんだから、産休になるんだよ。もし、それでも診断書が必要だったら、書いてあげるから連絡して」
ですって。
・・・産休。
中絶可能期間中だったから、すっかり軽く考えてたの。
っていうか、赤ん坊の世話がないのに、そんなに休む必要なんてないと思ってたの。
ところが、本来、産後休暇って、母体のためだったのよね。
赤ん坊の有無は関係ないっていうか、育児休業の守備範囲なのよ。
自分が人事にいるくせにすっかり忘れてたけど、産後、母体はとても弱ってるし感染症の危険もあるから、十分安静にしなきゃいけないって、自分で産休を取る社員に説明した気がするようなしないような・・・。
1週間で職場に復帰すれば、当初の検査入院の予定とそれほど変わらないし・・・なんて考えてたあたしのプランはあっさりと瓦解したわ。
その後は、次の診察の予約をして、また病室へ。
採血や薬の処方は、みんな病室でやってもらえるの。
入院患者って楽でいいわね。
って、思ってたんだけど、この採血で、小さな事件が。
担当してくれた看護婦さんが、本当に採血が下手だったのよ。
最初、左腕に針を刺したんだけど、試験管には全然血が入らなくて、脇からたらーりとこぼれてしまう始末。
次に、右腕からなんとか採血したんだけど、その後の止血がうまくいかなくて、左からもだらだらと流血。
あたしのベッドとパジャマはすっかり血だらけ。
おまけに、後日、両腕とも
「打ってるっしょ、シャブ」
って腕になっちゃって。
退院前に、思わぬハプニングがあったわ。
とは言え、お昼を食べて、無事退院。
今日は彼は仕事だったので、適当に一人で着替えて、一人で退院の手続きして、看護婦さんたちに挨拶して。
妊娠してたときは、転ばないように、人とぶつからないようになんて気にしてたし、入院中は体がだるくてだらだらと猫背に歩いてたけど、着替えた後のあたしの体型は、すっかり「ないすばでぃ」に戻っちゃってて、くびれたウェストは誰にぶつかる気遣いもなく、ロビーを歩きながら、いつしか、自ずと顔を上げて背筋を伸ばしてたわ。
ただ、ドクターグレイと彼からの厳命どおり、タクシーで帰りました。幸い、運転手さんも、いい人だった。
それにしても、病院を出るとき、「嗚呼、あの子を一人で病院に残して出るなんて・・・」っておセンチなことも考えちゃったわよ。やぁねぇ。
タクシーの中から、道行く子どもを見たりすると、
「これから何年か先、あたしは、「あの子が生きてたら、アレくらいの年」なんて考えたりするのかしらね」
なんて、思ってた。
それにしても、入院なんて、ほんの数日のことなのに、死を経験してからの外の世界って、どうして、こんなに色鮮やかに見えるのかしらね。
なんだか、道行く生気溢れる人々を、しみじみと眺めてしまったわ。
まあ、そんなわけで帰宅したものの、まだ腹痛も出血も、かなりなものだったので、そのままパジャマに逆戻りして布団の中へ。
頭の中が整理できてる自信はなかったから、職場への連絡は翌日にすることにして、惰眠を貪ったの。
彼が帰ってきてからは、明日行く斎場のことや、散骨のことを調べたりして。
今って、散骨は、特に許可は要らないのね。
きちんと砕いて、私有地じゃない場所、人の迷惑にならないところに撒く分には問題ないみたい。
実母から、亡くなった父の骨壷に一緒に入れたいって言われたんだけど、断ったわ。
彼がクリスチャンだから、自分の子を仏壇に上げることにはためらいがあった、っていうのが直接的な理由ではあるけど、あたしとしても、目の前に残したら、絶対この先、自分が縛られるって思ったの。形あるものの力は大きいからさ。あたしの子どもなんだから、あたしの考えで葬らせてもらってもいいでしょう。
結局、母には、後者の理由だけ説明して断ったわ。
そしてその日の夜は、彼と、亡くなったあの子の話をしながら眠ったわ。
彼もね、遺体だってわかっているのに、家に連れて帰りたかったって。
あんなグロテスクなはずのものが、かわいくて仕方なく見えたって。
子どもができるかできないかじゃなくて、あの子が死んじゃって、もう生きてないことが悲しいって。
それから、子どもを産んでからのあたしにびっくりしたって。
確かに、子どもを愛せないかも、なんて言ってたあたしが、あれだけの醜態晒したからねぇ。
子どもが産まれたら、勝てないかも、って思ったんですって。
確かにねぇ・・・今は、そうは思わないけど、出産数日のあいだって、「この子の敵か味方か?」っぽい感情でいたから、その時期に夫が子どもに何かよくないことでもしようものなら、「敵!」っつって飛び掛ってたわね、きっと。シャーッって感じで。(どういう感じだ?)
変なの。
でも、子どもを亡くしたとき、二人だったから、まだよかった。
少なくとも、自分の感情に近い人が一人いる、それだけで救われたわ。
それに、あたしを助けようとしてくれる友達が何人かいて、本当にそれはありがたいと思ったわ。
あたしがヘタレで、どうしてもすぐに人と会ったり話したりできなくて、その何人かの友達には申し訳なかったけど、メールをもらったりして、すごく嬉しかった。ほんの一言でいいの。ありふれた言葉でもいい、「何を言ったらいいのかわからない」って一言でもいい。ほんの一言あるかないかで、全然、違うの。
一人でこれに耐えてるお母さんもいるわけじゃない。本当に大変だと思うわ。
火葬の手配と退院
2004年12月1日出産翌日の1日。
夫に婦長さんから話があったの。
葬儀の手配をどうするかってこと。
出産でも驚いたけど、5ヶ月以上の胎児の場合って、ほんとにほとんど人間扱いなのね。
特に知り合いの葬儀社もないので、病院の出入りの業者を教えてもらって。
個室にいるうちにと思って、早速営業さんに来てもらったわ。
彼が休みの日がよかろうということで、3日に火葬場の予約を取って。
お葬式なども勧められたけど、もとより、そんなつもりもないので、あっさりと火葬のみになって。
不思議ね。
悲嘆にくれてる母親だったはずのあたしは、こういうことになると、いきなり、しゃんとしてしまって、彼はそれをわきまえたもので、あたしの後ろに控えていてくれて。
「お花を用意しますか」と言われたけど、断ったわ。
「当日、入れたいお洋服とかおもちゃがあれば」とも言われた。これにはちょっと胸を突かれたわね。そういうものはみんな、産前休暇に入ってから揃えるつもりだったから、本当に何もなくて。
当日の待ち合わせと予約した斎場を教えてもらい、予定額を聞いてお終い。火葬代と棺代だけで、およそ10万弱。
業者さんが帰ってから、看護婦さんが来たので、火葬予定日のことを説明して、2日には退院できないか、お願いしてみたわ。
出産と同様、ほんとは1週間入院の身の上らしいけど、状況が状況だから、看護婦さんも同情してくれて、病院に一人でいるよりは家にいるほうがいいって思ってくれたみたい。
ほんとは、術後の診察があるはずだったんだけど、ドクターグレイが外来で忙しくて、なかなか来れず。
代わりの先生が一度来てくれたんだけど、あたしとしては、子宮筋腫のこととか、今後の妊娠のことが聞きたかったから、後日でも、ドクターグレイにとりあえず相談しようと思ってた。
二度流産したから、流産の確率はそんなに高くないのに続けてしたから、不育症なのかとも思ったし。
彼とも、必要なら、お互いの染色体検査をしてもらわなきゃと思ってたの。
けれど、結局、午前中いっぱい、ドクターグレイは来れず。
お昼を食べてから、NICUから元の二人部屋に戻ることになったわ。
歩ける、つもりなんだけど、車椅子。
押してくれる看護婦さんは道すがら
「大変でしたね」
って声を掛けてくれて
「でも、お母さんとして、よく頑張られましたね。こんなお母さんのもとに生まれて、お子さんも幸せだったと思いますよ」
ですって。
感謝しつつ、「死んでるのに、幸せも何もなあ」と思いつつ、自分の昨日の遺体を見たときの激情を思うと、この看護婦さんの対応は適切なのかなあと思いつつ。
後で、夫と二人で「看護婦さんたち、あたしのこと、泣かせようとしてたよね」って言い合ったわよ。泣いた方が楽になるから?カウンセリングの一環なのかしら。
二人部屋の病室に戻ってしばらく、彼に早めに家に帰るように言ったわ。
だって、結局、29日から3日間、ほとんど病院に詰めてたようなもんだもの。
でも、彼、帰りませんでした。
29日に早く帰らせたんだけど、そのとき、家に帰っても、気になって落ち着かなくて、後悔したから、ぎりぎりまでいるって。
ドクターグレイが来たのは、夜も7時過ぎてから。
「遅くなっちゃってごめんね」
って、ほんとにいい先生だったわ。
で、まず、退院の話。
2日の朝に診察して決めましょうとのこと。
それから、不育症の話。
ドクターグレイ、ぽかんとして、最初、あたしたちが何を言っているのかわからなかったみたいだったわ。あたしが、「二度流産してるので、親の側、あたしたちの側に何か問題があるんじゃないかと思って」って言ったら、「それは、まずありません」って一笑に付されちゃった。
今回の死因は完全に胎児の側の問題で、今までの検診であたしには何の異常もなかったから、いわゆる不育症とは違うだろうとのこと。
今回染色体の検査はしなかったから、胎児の問題の原因が染色体異常かどうかはわからないけど、それが分かったからといって、次回も染色体異常が起こるか起こらないかは分からない、2回こういうことが続いたからしばらく妊娠を控えたいというのは、精神的につらいなら意味があるかもしれないけど、身体的には間を置いたからといって何の関係もない、とにかく、親の側の原因じゃないかと思い悩む必要はまったくないから、気にしないで、妊娠自体は生理が1回あればもう問題ないから、とのこと。
一生懸命説明してくれるドクターグレイの姿勢に、ちょっと泣けてきたわよ。
「とにかく、次の妊娠も、早い時期からちゃんと私が見ますから、妊娠したら来てくださいね」
って言ってくれたわ。
(っていうか、あたし、全然気づいてなかったんだけど、ドクターグレイは、結構えらい先生だったみたい。夫がネームプレートを見て言ってたわ)
結局、彼は面会時間いっぱいにいて、帰って行った。
あたしはその晩、ほとんど眠れなくて。
でも、考えることがたくさんあって、あっというまに夜が明けたわ。
夫に婦長さんから話があったの。
葬儀の手配をどうするかってこと。
出産でも驚いたけど、5ヶ月以上の胎児の場合って、ほんとにほとんど人間扱いなのね。
特に知り合いの葬儀社もないので、病院の出入りの業者を教えてもらって。
個室にいるうちにと思って、早速営業さんに来てもらったわ。
彼が休みの日がよかろうということで、3日に火葬場の予約を取って。
お葬式なども勧められたけど、もとより、そんなつもりもないので、あっさりと火葬のみになって。
不思議ね。
悲嘆にくれてる母親だったはずのあたしは、こういうことになると、いきなり、しゃんとしてしまって、彼はそれをわきまえたもので、あたしの後ろに控えていてくれて。
「お花を用意しますか」と言われたけど、断ったわ。
「当日、入れたいお洋服とかおもちゃがあれば」とも言われた。これにはちょっと胸を突かれたわね。そういうものはみんな、産前休暇に入ってから揃えるつもりだったから、本当に何もなくて。
当日の待ち合わせと予約した斎場を教えてもらい、予定額を聞いてお終い。火葬代と棺代だけで、およそ10万弱。
業者さんが帰ってから、看護婦さんが来たので、火葬予定日のことを説明して、2日には退院できないか、お願いしてみたわ。
出産と同様、ほんとは1週間入院の身の上らしいけど、状況が状況だから、看護婦さんも同情してくれて、病院に一人でいるよりは家にいるほうがいいって思ってくれたみたい。
ほんとは、術後の診察があるはずだったんだけど、ドクターグレイが外来で忙しくて、なかなか来れず。
代わりの先生が一度来てくれたんだけど、あたしとしては、子宮筋腫のこととか、今後の妊娠のことが聞きたかったから、後日でも、ドクターグレイにとりあえず相談しようと思ってた。
二度流産したから、流産の確率はそんなに高くないのに続けてしたから、不育症なのかとも思ったし。
彼とも、必要なら、お互いの染色体検査をしてもらわなきゃと思ってたの。
けれど、結局、午前中いっぱい、ドクターグレイは来れず。
お昼を食べてから、NICUから元の二人部屋に戻ることになったわ。
歩ける、つもりなんだけど、車椅子。
押してくれる看護婦さんは道すがら
「大変でしたね」
って声を掛けてくれて
「でも、お母さんとして、よく頑張られましたね。こんなお母さんのもとに生まれて、お子さんも幸せだったと思いますよ」
ですって。
感謝しつつ、「死んでるのに、幸せも何もなあ」と思いつつ、自分の昨日の遺体を見たときの激情を思うと、この看護婦さんの対応は適切なのかなあと思いつつ。
後で、夫と二人で「看護婦さんたち、あたしのこと、泣かせようとしてたよね」って言い合ったわよ。泣いた方が楽になるから?カウンセリングの一環なのかしら。
二人部屋の病室に戻ってしばらく、彼に早めに家に帰るように言ったわ。
だって、結局、29日から3日間、ほとんど病院に詰めてたようなもんだもの。
でも、彼、帰りませんでした。
29日に早く帰らせたんだけど、そのとき、家に帰っても、気になって落ち着かなくて、後悔したから、ぎりぎりまでいるって。
ドクターグレイが来たのは、夜も7時過ぎてから。
「遅くなっちゃってごめんね」
って、ほんとにいい先生だったわ。
で、まず、退院の話。
2日の朝に診察して決めましょうとのこと。
それから、不育症の話。
ドクターグレイ、ぽかんとして、最初、あたしたちが何を言っているのかわからなかったみたいだったわ。あたしが、「二度流産してるので、親の側、あたしたちの側に何か問題があるんじゃないかと思って」って言ったら、「それは、まずありません」って一笑に付されちゃった。
今回の死因は完全に胎児の側の問題で、今までの検診であたしには何の異常もなかったから、いわゆる不育症とは違うだろうとのこと。
今回染色体の検査はしなかったから、胎児の問題の原因が染色体異常かどうかはわからないけど、それが分かったからといって、次回も染色体異常が起こるか起こらないかは分からない、2回こういうことが続いたからしばらく妊娠を控えたいというのは、精神的につらいなら意味があるかもしれないけど、身体的には間を置いたからといって何の関係もない、とにかく、親の側の原因じゃないかと思い悩む必要はまったくないから、気にしないで、妊娠自体は生理が1回あればもう問題ないから、とのこと。
一生懸命説明してくれるドクターグレイの姿勢に、ちょっと泣けてきたわよ。
「とにかく、次の妊娠も、早い時期からちゃんと私が見ますから、妊娠したら来てくださいね」
って言ってくれたわ。
(っていうか、あたし、全然気づいてなかったんだけど、ドクターグレイは、結構えらい先生だったみたい。夫がネームプレートを見て言ってたわ)
結局、彼は面会時間いっぱいにいて、帰って行った。
あたしはその晩、ほとんど眠れなくて。
でも、考えることがたくさんあって、あっというまに夜が明けたわ。
遺体
2004年12月1日遺体を初めて見たのは、正確には、30日の午後。
分娩室から、当初陣痛を耐えていた部屋に戻ってきた途端、
「お母様がいらっしゃいましたけど」
と看護婦さん。
今度は、あたしの実母が来たの。
そして間もなく、
「きれいになりましたよ」
って、ちびの遺体が。
あたしはベッドに横になっていたので、あたしの目線だと30センチ四方ぐらいのタオルの塊。母と夫が先にそれを覗き込んでた。
看護婦さんが
「かわいいでしょう?」
って言って、母が
「ほんと、かわいい」
夫が
「そうですね」
って言ってた。
まだ5ヶ月の胎児を、よ。
んなわけあるかい、と思いつつも、見たら意外とかわいいのだろうかと、ちらっと思ったりもしてたわ。
母が帰ってから、ゆっくりと起してもらって、ご対面。
タオルの中にガーゼが、そしてその中に、小さな小さな胎児がいた。全長は15センチほど、頭の大きさは3〜5センチほど。赤い、水っぽい、人の形をしたもの。
正直言って、「かわいくないじゃん」って思ったわよ。
なのに。
あ、手が見える、へぇ、ちゃんと人の形してる、胸のところで組ませてもらったんだ、うわぁ、指の先に、小さい小さい爪・・・
って思った瞬間。
嗚呼、こんな小さい子が、お腹の中で頑張ってたのね、
この子が、あたしの子なんだ・・・、
どっから、来やがったの、この気持ち!
みたいな激情が襲ってきて。
可愛いというか、愛しいというか。
考えたくもないけれど、たやすく「母の愛」なんて名づけられてしまいそうな気持ちが。
人って・・・と一般化しちゃいけないかしら。
あたしは、目に見えるものに、本当に弱いのね。
目にした途端に力を持つイメージと、襲ってくる激情。
小さい小さい胎児。
閉じている、切れ長の小さなつり目。
胸のところで重ねられた、小さな小さな手。
男の子だったとのことで。
こんなに小さいのに心臓に病気があって、大変だっただろうね
でも、つい一昨日まで、よく頑張ってたよね
お父さんに初めて、心臓、動いてるの見せてくれたもんね
お腹の中にいるとき、よく話したよね
こんなに塩辛いものばっかり食べたら、ちびに恨まれるねって
お父さんはこんなにお母さんに尽くしてるんだぞ、覚えておけって
体調悪いのに、残業してごめんねって
転びかけて、びっくりさせてごめんねって
早く出てきて、お手伝いするくらいに大きくなってねって
生まれてきたら、窓から街を見せようねって
生まれてきたら、テレビでサッカーを見せようねって
サッカーとうさぎと犬が好きな子どもに育てようねって
名前は、漢字一文字がいいねって
こんなあたしなんだから、せめて少しは母親らしいこと、してあげなきゃねって・・・
まだ生まれてなかったけど、
この子はもうお腹の中で5ヶ月もあたしたちと一緒に過ごして、あたしたち夫婦の会話のなかで、たくさん話題を提供してくれて、あたしたちは、この子のことをたくさん、考えた。
だから、生まれずに死んじゃったけど、あたしたちは、一応、家族だったね。
一応、間違いなく、家族だったね。
この子は、あたしたちの、一番初めの、子どもだね。
彼と、遺体の寝かせられたベッドを挟んで、抱き締めあった。
きっとハンサムになったと思うのよ。
男の子だし、もしかしたら、あたしの生き方に、猛反発したかもしれないけど。
でも、大した陣痛もないうちに、生まれてくれた。
痛みにヘタレな母親にとって、まったく孝行息子ってもんよ。
どんな子になったんだろう。
生きてたら、どんな子に、育ったんだろう。
まだ名前も考えてなかった。まだ服もおもちゃも買ってなかった。まだまだしばらくお腹の中にいると思ってた。
元気に生まれてほしかったな。
どんなにつらくても、どんなに痛くてもいいから。
障害があったらなんて、考えるまでもなかったじゃん。
こんな小さいのに頑張ってた、お腹の中で生きていた、どんな子どもになるとしても、産みたかったよ。
だって、こんな小さい子、あたしが、守らなきゃ。
何があっても、誰が何と言っても、あたしが、守らなきゃ。
生きててほしかったなあ。
どんな子でもいいから、生きててほしかったなあ、あの子に。
あたしたちと、何ヶ月も一緒に過ごした、あの子に生きててほしかったよ。
・・・って、こんな感じかな、当時の激情。
あたしはたやすく親ばかになりました。
中絶を勧めてた母親なんて、
「あたしの子を殺そうなんて、こいつ、敵!」
みたいな感じだったし。
もしあたしが死ぬか、子どもが産まれるか、だったら絶対、この子を産みたいと思ったし。
この子が生き返るなら、どんなことでもするって、馬鹿みたいに思ったし。
赤いグロテスクな物体なのに、
遺体だと分かってるのに、
いつまでも傍に置いておきたかったし。
看護婦さんに返してからも、一人でさびしくないかなって考えちゃったし。
病院から連れて帰って、布団に寝かせたり、椅子に座らせたり、公園に連れて行ったり、もう傍から見たらすっかりホラーなこと、してあげたくてしてあげたくてたまらなかったし。
いっそ、もう一度、お腹に戻したいとか、そんなこと、考えたし。
また次に妊娠できるかなとか、妊娠したいな、とか、もちろんそういうことで不安になったり希望を持ったり救われたりしてる部分はいっぱいあったし、あるんだろうけど、でもそれ以上に、「あの子」が死んじゃったことが悲しくて、どうしてもどうしても「あの子」に生きて産まれてほしくて。
前回の流産と違って、陣痛起して、痛みを我慢して、子宮を収縮させて、自分の目の前で出産したせいで、あたしの中ではもう、「あの子」は「一人の人間」として成立しちゃったのね。
だから、今回のことは、あたしにとって、「流産」じゃなくて、「人の死」「子どもの死」でした。
流産しました、じゃなくて、あの子が死んでしまいました、でした。
多分、この感覚は誰にも分からないだろうけど。
父の死のときも、そうだったけど、大切な人の死を前にすると、世の中のことすべてが、なんだか、どうでもよくなってしまって。
世界中の人に「死んだんです、あたしの大切な人が死んだんです」っていくら叫んでも、全然声が出てないみたいな気がして。
一人で、厚い厚いガラスの向こう側に来てしまったみたいな。
今回のことを、いろいろ冷静に考えて、自分の気持ちの変化や生死について考えている自分とは別に、あたしの心の水の底の泥みたいに、どうやっても出ていかない重いものが、まだあるの。
あの子が、
あたしのお腹の中で、
まだ何も考える力すら持たず、
ただひたすらに生きていたあの子が、
死んでしまいました。
もうどこにもいない。
まだ何も、してあげられてなかったのに、
もうあたしがあの子にしてあげられることは、何一つ、ない。
ただそれが、悲しくて、悔しくて、腹立たしくて、遣り切れなくて、受け入れられなくて。
どうしようもないのにね。
遺体は、冷やしておかないと大変なことになるような代物なので、看護婦さんを呼んでお返しする。
「いつでも会えるようにしておきますから、言って下さいね」
って看護婦さん。
そのまま、あたしは、その晩、もとの二人部屋には戻らず、その部屋で休むことになり、そして、看護婦さんたちの配慮で、夫も泊まらせてもらえることになったわ。
二人でいられて、ほんとうによかった。
分娩室から、当初陣痛を耐えていた部屋に戻ってきた途端、
「お母様がいらっしゃいましたけど」
と看護婦さん。
今度は、あたしの実母が来たの。
そして間もなく、
「きれいになりましたよ」
って、ちびの遺体が。
あたしはベッドに横になっていたので、あたしの目線だと30センチ四方ぐらいのタオルの塊。母と夫が先にそれを覗き込んでた。
看護婦さんが
「かわいいでしょう?」
って言って、母が
「ほんと、かわいい」
夫が
「そうですね」
って言ってた。
まだ5ヶ月の胎児を、よ。
んなわけあるかい、と思いつつも、見たら意外とかわいいのだろうかと、ちらっと思ったりもしてたわ。
母が帰ってから、ゆっくりと起してもらって、ご対面。
タオルの中にガーゼが、そしてその中に、小さな小さな胎児がいた。全長は15センチほど、頭の大きさは3〜5センチほど。赤い、水っぽい、人の形をしたもの。
正直言って、「かわいくないじゃん」って思ったわよ。
なのに。
あ、手が見える、へぇ、ちゃんと人の形してる、胸のところで組ませてもらったんだ、うわぁ、指の先に、小さい小さい爪・・・
って思った瞬間。
嗚呼、こんな小さい子が、お腹の中で頑張ってたのね、
この子が、あたしの子なんだ・・・、
どっから、来やがったの、この気持ち!
みたいな激情が襲ってきて。
可愛いというか、愛しいというか。
考えたくもないけれど、たやすく「母の愛」なんて名づけられてしまいそうな気持ちが。
人って・・・と一般化しちゃいけないかしら。
あたしは、目に見えるものに、本当に弱いのね。
目にした途端に力を持つイメージと、襲ってくる激情。
小さい小さい胎児。
閉じている、切れ長の小さなつり目。
胸のところで重ねられた、小さな小さな手。
男の子だったとのことで。
こんなに小さいのに心臓に病気があって、大変だっただろうね
でも、つい一昨日まで、よく頑張ってたよね
お父さんに初めて、心臓、動いてるの見せてくれたもんね
お腹の中にいるとき、よく話したよね
こんなに塩辛いものばっかり食べたら、ちびに恨まれるねって
お父さんはこんなにお母さんに尽くしてるんだぞ、覚えておけって
体調悪いのに、残業してごめんねって
転びかけて、びっくりさせてごめんねって
早く出てきて、お手伝いするくらいに大きくなってねって
生まれてきたら、窓から街を見せようねって
生まれてきたら、テレビでサッカーを見せようねって
サッカーとうさぎと犬が好きな子どもに育てようねって
名前は、漢字一文字がいいねって
こんなあたしなんだから、せめて少しは母親らしいこと、してあげなきゃねって・・・
まだ生まれてなかったけど、
この子はもうお腹の中で5ヶ月もあたしたちと一緒に過ごして、あたしたち夫婦の会話のなかで、たくさん話題を提供してくれて、あたしたちは、この子のことをたくさん、考えた。
だから、生まれずに死んじゃったけど、あたしたちは、一応、家族だったね。
一応、間違いなく、家族だったね。
この子は、あたしたちの、一番初めの、子どもだね。
彼と、遺体の寝かせられたベッドを挟んで、抱き締めあった。
きっとハンサムになったと思うのよ。
男の子だし、もしかしたら、あたしの生き方に、猛反発したかもしれないけど。
でも、大した陣痛もないうちに、生まれてくれた。
痛みにヘタレな母親にとって、まったく孝行息子ってもんよ。
どんな子になったんだろう。
生きてたら、どんな子に、育ったんだろう。
まだ名前も考えてなかった。まだ服もおもちゃも買ってなかった。まだまだしばらくお腹の中にいると思ってた。
元気に生まれてほしかったな。
どんなにつらくても、どんなに痛くてもいいから。
障害があったらなんて、考えるまでもなかったじゃん。
こんな小さいのに頑張ってた、お腹の中で生きていた、どんな子どもになるとしても、産みたかったよ。
だって、こんな小さい子、あたしが、守らなきゃ。
何があっても、誰が何と言っても、あたしが、守らなきゃ。
生きててほしかったなあ。
どんな子でもいいから、生きててほしかったなあ、あの子に。
あたしたちと、何ヶ月も一緒に過ごした、あの子に生きててほしかったよ。
・・・って、こんな感じかな、当時の激情。
あたしはたやすく親ばかになりました。
中絶を勧めてた母親なんて、
「あたしの子を殺そうなんて、こいつ、敵!」
みたいな感じだったし。
もしあたしが死ぬか、子どもが産まれるか、だったら絶対、この子を産みたいと思ったし。
この子が生き返るなら、どんなことでもするって、馬鹿みたいに思ったし。
赤いグロテスクな物体なのに、
遺体だと分かってるのに、
いつまでも傍に置いておきたかったし。
看護婦さんに返してからも、一人でさびしくないかなって考えちゃったし。
病院から連れて帰って、布団に寝かせたり、椅子に座らせたり、公園に連れて行ったり、もう傍から見たらすっかりホラーなこと、してあげたくてしてあげたくてたまらなかったし。
いっそ、もう一度、お腹に戻したいとか、そんなこと、考えたし。
また次に妊娠できるかなとか、妊娠したいな、とか、もちろんそういうことで不安になったり希望を持ったり救われたりしてる部分はいっぱいあったし、あるんだろうけど、でもそれ以上に、「あの子」が死んじゃったことが悲しくて、どうしてもどうしても「あの子」に生きて産まれてほしくて。
前回の流産と違って、陣痛起して、痛みを我慢して、子宮を収縮させて、自分の目の前で出産したせいで、あたしの中ではもう、「あの子」は「一人の人間」として成立しちゃったのね。
だから、今回のことは、あたしにとって、「流産」じゃなくて、「人の死」「子どもの死」でした。
流産しました、じゃなくて、あの子が死んでしまいました、でした。
多分、この感覚は誰にも分からないだろうけど。
父の死のときも、そうだったけど、大切な人の死を前にすると、世の中のことすべてが、なんだか、どうでもよくなってしまって。
世界中の人に「死んだんです、あたしの大切な人が死んだんです」っていくら叫んでも、全然声が出てないみたいな気がして。
一人で、厚い厚いガラスの向こう側に来てしまったみたいな。
今回のことを、いろいろ冷静に考えて、自分の気持ちの変化や生死について考えている自分とは別に、あたしの心の水の底の泥みたいに、どうやっても出ていかない重いものが、まだあるの。
あの子が、
あたしのお腹の中で、
まだ何も考える力すら持たず、
ただひたすらに生きていたあの子が、
死んでしまいました。
もうどこにもいない。
まだ何も、してあげられてなかったのに、
もうあたしがあの子にしてあげられることは、何一つ、ない。
ただそれが、悲しくて、悔しくて、腹立たしくて、遣り切れなくて、受け入れられなくて。
どうしようもないのにね。
遺体は、冷やしておかないと大変なことになるような代物なので、看護婦さんを呼んでお返しする。
「いつでも会えるようにしておきますから、言って下さいね」
って看護婦さん。
そのまま、あたしは、その晩、もとの二人部屋には戻らず、その部屋で休むことになり、そして、看護婦さんたちの配慮で、夫も泊まらせてもらえることになったわ。
二人でいられて、ほんとうによかった。
出産当日2
2004年11月30日(「出産当日1」より)
「わかった? 今、産まれたよ」
って、先生だか看護婦さんに言われて。
「後で、きれいにして会わせてあげるからね」
って言われて驚いたものの、驚いている暇もなく
「ただ、まだ胎盤出さなきゃいけないから。臍帯切れちゃってるな。また痛いけど、頑張って」
ですって。これを出す作業が、そこそこ危険らしかったの。
あっというまに、なんかよくわからない機械と超音波の機械と、薬が出てきて。
「ここじゃ、やれないよ。やりきるつもりないよ」
って、もぉ、また先生ったら、危険な発言。
「○○と××入れて」
「え?もう入れていいんですか?」
「出産したら、入れるって話に決まってたじゃん」
「いや、そこまで、聞いてはいなかったんですけど、準備はできてます」
って、ほんとに、ここの人たち、優秀で、動きも機敏で頭もいいんだけど、いいのか、この会話、あたしに聞かせて。
とかなんとかしてるあいだに、点滴の管から、薬注入。
「ちょっと痛いよ」
って看護婦さんの言うとおり、手首の管が入っているあたりに痛み。
「ほんとは、自然に胎盤が剥がれるのがいいんだけど、赤ちゃん出るのが早かったからねぇ」
と言いつつ、先生、あたしのおなかをぐいぐいと揉む。これが痛い。
「消毒しながら、子宮底押さえられる?」
「やります」
って、助産師さん。
「もっとしっかり押さえて。簡単に破れちゃうんだから!」
ここらへんは、あたしも痛みでちょっと意識朦朧、貧血みたいな感じだったわ。
お腹の中から、何かがべりべり剥がされる痛み。ほんと、胎盤剥がしてるんだなあって実感したわよ。
特に強かった痛みの後、
「ほとんど取れたけど、まだちょっと残ってるから、場所移してやります。つらいけど、きちんと取っちゃわないと、危ないからね。今度は、眠る薬入れるから」
って、ドクターグレイ。
あたしは、ひたすら「よろしくお願いします」って呟くだけでやっと。
そして再び、部屋を移動。今度はLDRっぽい、分娩室。
いや、いろいろ体験できて、すごいわ。
で、今度は、指に心電図測る機械?つけたり、酸素マスクつけたり。
前回の病院では、同意もなくあっというまに全身麻酔されたけど、ほんとはこんなに、ちゃんとしなきゃいけないものだったのねぇ、と、意外なしみじみ。
で、看護婦さんが、点滴の管に、「眠る薬」を入れて、あたしは気管がつまらないように枕をずらして・・・
覚えてたのはそこまで。
その後は、意識がないわ。
ぼんやりと目覚めたときには、なぜか、枕元に彼と義母が。あたし、思わず、
「わざわざ来ていただいて、申し訳ありません」
って言ったら、義母、
「いいから、おやすみなさい」
って頭を撫でてくれて、気持ちよかったの。
「ありがとうございますぅぅぅ。おやすみなさいぃぃ」
ってまたブラックアウト。
次に目覚めたとき、彼一人、ソファに座ってて。
あたし、まだぼんやりしてて、
「あれぇ、手術って、まだこれからだっけ?」
って言っちゃった。
彼に
「もう終わったよ。先生、外来に戻るって。看護婦さん呼んでくるから、待っててね」
って言われ、看護婦さんが陣痛を耐えてたNICUの個室に連れ戻してくれた。
手術はこれで、全部、終わったの。
「わかった? 今、産まれたよ」
って、先生だか看護婦さんに言われて。
「後で、きれいにして会わせてあげるからね」
って言われて驚いたものの、驚いている暇もなく
「ただ、まだ胎盤出さなきゃいけないから。臍帯切れちゃってるな。また痛いけど、頑張って」
ですって。これを出す作業が、そこそこ危険らしかったの。
あっというまに、なんかよくわからない機械と超音波の機械と、薬が出てきて。
「ここじゃ、やれないよ。やりきるつもりないよ」
って、もぉ、また先生ったら、危険な発言。
「○○と××入れて」
「え?もう入れていいんですか?」
「出産したら、入れるって話に決まってたじゃん」
「いや、そこまで、聞いてはいなかったんですけど、準備はできてます」
って、ほんとに、ここの人たち、優秀で、動きも機敏で頭もいいんだけど、いいのか、この会話、あたしに聞かせて。
とかなんとかしてるあいだに、点滴の管から、薬注入。
「ちょっと痛いよ」
って看護婦さんの言うとおり、手首の管が入っているあたりに痛み。
「ほんとは、自然に胎盤が剥がれるのがいいんだけど、赤ちゃん出るのが早かったからねぇ」
と言いつつ、先生、あたしのおなかをぐいぐいと揉む。これが痛い。
「消毒しながら、子宮底押さえられる?」
「やります」
って、助産師さん。
「もっとしっかり押さえて。簡単に破れちゃうんだから!」
ここらへんは、あたしも痛みでちょっと意識朦朧、貧血みたいな感じだったわ。
お腹の中から、何かがべりべり剥がされる痛み。ほんと、胎盤剥がしてるんだなあって実感したわよ。
特に強かった痛みの後、
「ほとんど取れたけど、まだちょっと残ってるから、場所移してやります。つらいけど、きちんと取っちゃわないと、危ないからね。今度は、眠る薬入れるから」
って、ドクターグレイ。
あたしは、ひたすら「よろしくお願いします」って呟くだけでやっと。
そして再び、部屋を移動。今度はLDRっぽい、分娩室。
いや、いろいろ体験できて、すごいわ。
で、今度は、指に心電図測る機械?つけたり、酸素マスクつけたり。
前回の病院では、同意もなくあっというまに全身麻酔されたけど、ほんとはこんなに、ちゃんとしなきゃいけないものだったのねぇ、と、意外なしみじみ。
で、看護婦さんが、点滴の管に、「眠る薬」を入れて、あたしは気管がつまらないように枕をずらして・・・
覚えてたのはそこまで。
その後は、意識がないわ。
ぼんやりと目覚めたときには、なぜか、枕元に彼と義母が。あたし、思わず、
「わざわざ来ていただいて、申し訳ありません」
って言ったら、義母、
「いいから、おやすみなさい」
って頭を撫でてくれて、気持ちよかったの。
「ありがとうございますぅぅぅ。おやすみなさいぃぃ」
ってまたブラックアウト。
次に目覚めたとき、彼一人、ソファに座ってて。
あたし、まだぼんやりしてて、
「あれぇ、手術って、まだこれからだっけ?」
って言っちゃった。
彼に
「もう終わったよ。先生、外来に戻るって。看護婦さん呼んでくるから、待っててね」
って言われ、看護婦さんが陣痛を耐えてたNICUの個室に連れ戻してくれた。
手術はこれで、全部、終わったの。
出産当日1
2004年11月30日8時の朝食の後、彼が病室に到着。
実際、出産の予定時刻は午後。それまでは、ただ陣痛が近くなるのを待つだけだから、彼には午後から来てくれればいいよって言ったんだけど、来たいからって。
9時頃だったかな。
ドクターグレイは外来で手が離せないということで、代わりの先生が来てくれたの。
これから、まず入れてある10本の棒を抜いて、陣痛促進剤を入れるとのこと。
そのため、病室から車椅子でNICU(産科のICUみたいなものらしい)に移動。
そこであたし、ドクターグレイの優しさをしみじみと思い知ったわよ。ああ、失って分かるあの人の大切さ。
代わりの先生も、いい人だったんだけど、「これから痛くするよ」って声掛けをしてくれないタイプの人だったのよね。
何しろ、あたしは、痛みに対して、めっちゃヘタレだから、普通の人は平気なくらいでも、全然耐えられないのよ!(って、威張ることじゃないって)
だから、その先生が淡々と棒を抜く間、心の中で絶叫しながら悶絶してたわ。
ほんとは、そのとき子宮口が十分開いてるか見て、開いてなければもう一度棒を入れるってことになってたんだけど、先生同士でもう薬を入れるってことに話が決まってたみたい。
「じゃ、薬入れますね」
って、あっけなく陣痛促進剤を入れられました。
その後、オムツみたいな巨大な紙ナプキンを当てがわれ、もう気分は赤ちゃんプレイよ。
それから、点滴開始。感染予防の抗生物質みたい。
「普通、1回目では腰が重くなったり生理痛くらいの痛みしか来ないから、3時間おきくらいに、2回目、3回目って入れていきますから」
と言われたのが9時半。
その先生が立ち去って、すぐ後に、担当の助産師さんが来てくれたわ。自己紹介の後、「これから長いけど、頑張ってね」って。
「ちょっと、普通のお産と違うから、つらいと思うけど」
って肩に手を置いてくれて・・・って、日赤の看護婦さんと助産師さんって、親切な人が多かったんだけど、ほんとに、今回、ほとんどの人から「つらいと思うけど」「大変だと思うけど」「でも、赤ちゃんも、ここまで育ててもらって、嬉しかったと思うのよ」「明日は、お母さんとして頑張ってね」って・・・
よってたかって、あたしを泣かす気だろ!?そうだろ!?
って、泣きながら詰め寄りたくなるほど、慰めてくれるんですけど、どういうことなんざんしょ。
やっぱり、もう死んでる胎児を、よりによって産まなきゃいけないってのは、よっぽど同情してもらえることなのかしらね。
というわけで、薬入れた後は、ひたすら、待つ。
でも、担当の助産師さんが、30分置きくらいに見に来てくれて、すっごく親切だったわ。
しかも、あたし、わりと本を読んでたり、彼と話したりしてれば、平気だったんだけど、
「音楽、要る?」
ってCDラジカセ持ってきてくれたり(ちなみに、中に入ってたのは、ディズニーのCD。もしかして拷問?)
「赤ちゃん産むために、骨盤が開いてく痛みだから、腰に来るかも。その後、だんだん、痛みが強くなってきて、声が思わず出るようになってきたら出産ね」
って教えてくれたり、
「暖めると楽だから、カイロ持って来るね」
って持ってきてくれたり。
まあ、ともあれ、1回目でいきなり来ることはないって言われてたから、あたしも余裕の構え。
ところが、そろそろ生理痛っぽいものが来始めたなと思った10時半ごろ、ちょっと姿勢を変えようと思って横を向いたとき、何か、液体が出た、感じがあったの。
「あー、なんか、出たかも、看護婦さん、呼んだほうがいいかなあ」
と彼にお願いして看護婦さんに来てもらったわ。
「消毒薬が出たのかもしれないけど、破水かもしれない。検査してくるね」
と、再び恥辱のオムツ交換。
10分ほどして
「破水だったわ。この後、出血してきたら、また教えて」
って言われてびっくり。
そうかー、あれが破水かー。
という間抜けな感慨に浸ってました。
まあねぇ、これで、生きてる赤ちゃんが生まれてくるんなら、気持ちも浮き立つんだろうし、痛みにも耐えやすいんだけど。
で、それからさらに10分。
だんだん、痛くなってきたわ。
言われたとおり、腰を暖めて、少し楽に。
で、彼にもさすってもらって。これはどっちかっていうと、精神安定剤だわね。
看護婦さんも来てくれて、お腹に手を当てて、あたしが
「あ、痛くなった」
「うん、お腹が固くなるから分かる」
ですって。
思わず、あたしもお腹に手を当てて、
「あ、ほんとだ、固い!面白い!」
って、はしゃいでる場合じゃないっての。
そんなこんなで12時ごろ。
痛みはあるものの、陣痛っていうような規則的なものでもなく。
それでも、腹は減るわけ。
で、何か食べるものぉぉぉと彼にねだって、お見舞いのフィナンシェを口に入れ、咀嚼しようとしたそのとき、激痛が!
フィナンシェを頬張ったまま、死んだ胎児を産むという間抜けなことだけは避けたい!
あたしは、必死で菓子を飲み込んだわよ。
そしたら、その瞬間、何かが落ちてきて、ぶつかって押し広げられてる鈍い痛みが!
「看護婦さん、呼んで、何か出てきてる」
さすがのあたしも、必死に彼に頼んだわ。
で、看護婦さん登場。
「今、先生、外来中なんだけど、とにかく呼んだから、もう少し待っててね。まだ胎児が降りてくるには早いとは思うんだけど」
この頃には、もう痛みも引いてきてたので
「でも、何か塊が下りてきたのは確かだと思います」
って自分で説明できたわ。
ただ、相変わらず空腹。
「食事食べる?」
って看護婦さんが聞いてきてくれたので、お昼を持ってきてもらったの。
おいしそうなお魚の煮付け。
いただきまーす、って思ったら、なんと、先生登場!
「何?お腹すいてるの?それくらいなら、まだでしょ」
って言いながら、とりあえず、彼は退室、お昼撤収。
で、内診。
「あ、降りてきちゃってる、それですっきりしちゃったんだ」
ですって。
「このベッドだとやりにくいなー、分娩室は?」
「今、声出す人がいるんで、とりあえず、ここでって指示受けてるんですけど」
「えー、ここじゃできないよ。あれ、ないの?」
「今、ここにはこれしかありません」
「あ、じゃ、それでいいや」
と物騒な会話を交わしつつ、あたしの中に、いろいろ機器を入れてる模様。
「うーん、出せるかな」
「引っ掛けて、引っ張り出すの、持ってきますか?」
と看護婦さんも、さすが、プロ。
「いや、大丈夫。あ、これタイホウ(胎胞?)だな。朝田さん、痛いけど、ちょっと力抜ける?」
そうそう。
忘れてたけど、お昼撤収されたあたりから、痛み再びだったのよね。
助産師さんは、いつのまにか3人に増えてる。
あたしは、痛みで腰が引けないように、自分の腰に手を当てながら、歯を食いしばって耐えてたんだわ。
で、そこへ、先生の「力抜け」って指示だったから、痛いの覚悟で力抜いたのよ。
「そうそう、そういう感じ。いいよ」
って、先生に誉められつつ、看護婦さんは、肩にそっと手を添えてくれて。
そうしたら、その次の瞬間。
ぬるろん。
って感じで、何かが抜けて、痛みが引いて。
「それらしきもの」を先生が、看護婦さんに渡していて。
あ、産まれたんだ。
ってわかったわ。
(続く)
実際、出産の予定時刻は午後。それまでは、ただ陣痛が近くなるのを待つだけだから、彼には午後から来てくれればいいよって言ったんだけど、来たいからって。
9時頃だったかな。
ドクターグレイは外来で手が離せないということで、代わりの先生が来てくれたの。
これから、まず入れてある10本の棒を抜いて、陣痛促進剤を入れるとのこと。
そのため、病室から車椅子でNICU(産科のICUみたいなものらしい)に移動。
そこであたし、ドクターグレイの優しさをしみじみと思い知ったわよ。ああ、失って分かるあの人の大切さ。
代わりの先生も、いい人だったんだけど、「これから痛くするよ」って声掛けをしてくれないタイプの人だったのよね。
何しろ、あたしは、痛みに対して、めっちゃヘタレだから、普通の人は平気なくらいでも、全然耐えられないのよ!(って、威張ることじゃないって)
だから、その先生が淡々と棒を抜く間、心の中で絶叫しながら悶絶してたわ。
ほんとは、そのとき子宮口が十分開いてるか見て、開いてなければもう一度棒を入れるってことになってたんだけど、先生同士でもう薬を入れるってことに話が決まってたみたい。
「じゃ、薬入れますね」
って、あっけなく陣痛促進剤を入れられました。
その後、オムツみたいな巨大な紙ナプキンを当てがわれ、もう気分は赤ちゃんプレイよ。
それから、点滴開始。感染予防の抗生物質みたい。
「普通、1回目では腰が重くなったり生理痛くらいの痛みしか来ないから、3時間おきくらいに、2回目、3回目って入れていきますから」
と言われたのが9時半。
その先生が立ち去って、すぐ後に、担当の助産師さんが来てくれたわ。自己紹介の後、「これから長いけど、頑張ってね」って。
「ちょっと、普通のお産と違うから、つらいと思うけど」
って肩に手を置いてくれて・・・って、日赤の看護婦さんと助産師さんって、親切な人が多かったんだけど、ほんとに、今回、ほとんどの人から「つらいと思うけど」「大変だと思うけど」「でも、赤ちゃんも、ここまで育ててもらって、嬉しかったと思うのよ」「明日は、お母さんとして頑張ってね」って・・・
よってたかって、あたしを泣かす気だろ!?そうだろ!?
って、泣きながら詰め寄りたくなるほど、慰めてくれるんですけど、どういうことなんざんしょ。
やっぱり、もう死んでる胎児を、よりによって産まなきゃいけないってのは、よっぽど同情してもらえることなのかしらね。
というわけで、薬入れた後は、ひたすら、待つ。
でも、担当の助産師さんが、30分置きくらいに見に来てくれて、すっごく親切だったわ。
しかも、あたし、わりと本を読んでたり、彼と話したりしてれば、平気だったんだけど、
「音楽、要る?」
ってCDラジカセ持ってきてくれたり(ちなみに、中に入ってたのは、ディズニーのCD。もしかして拷問?)
「赤ちゃん産むために、骨盤が開いてく痛みだから、腰に来るかも。その後、だんだん、痛みが強くなってきて、声が思わず出るようになってきたら出産ね」
って教えてくれたり、
「暖めると楽だから、カイロ持って来るね」
って持ってきてくれたり。
まあ、ともあれ、1回目でいきなり来ることはないって言われてたから、あたしも余裕の構え。
ところが、そろそろ生理痛っぽいものが来始めたなと思った10時半ごろ、ちょっと姿勢を変えようと思って横を向いたとき、何か、液体が出た、感じがあったの。
「あー、なんか、出たかも、看護婦さん、呼んだほうがいいかなあ」
と彼にお願いして看護婦さんに来てもらったわ。
「消毒薬が出たのかもしれないけど、破水かもしれない。検査してくるね」
と、再び恥辱のオムツ交換。
10分ほどして
「破水だったわ。この後、出血してきたら、また教えて」
って言われてびっくり。
そうかー、あれが破水かー。
という間抜けな感慨に浸ってました。
まあねぇ、これで、生きてる赤ちゃんが生まれてくるんなら、気持ちも浮き立つんだろうし、痛みにも耐えやすいんだけど。
で、それからさらに10分。
だんだん、痛くなってきたわ。
言われたとおり、腰を暖めて、少し楽に。
で、彼にもさすってもらって。これはどっちかっていうと、精神安定剤だわね。
看護婦さんも来てくれて、お腹に手を当てて、あたしが
「あ、痛くなった」
「うん、お腹が固くなるから分かる」
ですって。
思わず、あたしもお腹に手を当てて、
「あ、ほんとだ、固い!面白い!」
って、はしゃいでる場合じゃないっての。
そんなこんなで12時ごろ。
痛みはあるものの、陣痛っていうような規則的なものでもなく。
それでも、腹は減るわけ。
で、何か食べるものぉぉぉと彼にねだって、お見舞いのフィナンシェを口に入れ、咀嚼しようとしたそのとき、激痛が!
フィナンシェを頬張ったまま、死んだ胎児を産むという間抜けなことだけは避けたい!
あたしは、必死で菓子を飲み込んだわよ。
そしたら、その瞬間、何かが落ちてきて、ぶつかって押し広げられてる鈍い痛みが!
「看護婦さん、呼んで、何か出てきてる」
さすがのあたしも、必死に彼に頼んだわ。
で、看護婦さん登場。
「今、先生、外来中なんだけど、とにかく呼んだから、もう少し待っててね。まだ胎児が降りてくるには早いとは思うんだけど」
この頃には、もう痛みも引いてきてたので
「でも、何か塊が下りてきたのは確かだと思います」
って自分で説明できたわ。
ただ、相変わらず空腹。
「食事食べる?」
って看護婦さんが聞いてきてくれたので、お昼を持ってきてもらったの。
おいしそうなお魚の煮付け。
いただきまーす、って思ったら、なんと、先生登場!
「何?お腹すいてるの?それくらいなら、まだでしょ」
って言いながら、とりあえず、彼は退室、お昼撤収。
で、内診。
「あ、降りてきちゃってる、それですっきりしちゃったんだ」
ですって。
「このベッドだとやりにくいなー、分娩室は?」
「今、声出す人がいるんで、とりあえず、ここでって指示受けてるんですけど」
「えー、ここじゃできないよ。あれ、ないの?」
「今、ここにはこれしかありません」
「あ、じゃ、それでいいや」
と物騒な会話を交わしつつ、あたしの中に、いろいろ機器を入れてる模様。
「うーん、出せるかな」
「引っ掛けて、引っ張り出すの、持ってきますか?」
と看護婦さんも、さすが、プロ。
「いや、大丈夫。あ、これタイホウ(胎胞?)だな。朝田さん、痛いけど、ちょっと力抜ける?」
そうそう。
忘れてたけど、お昼撤収されたあたりから、痛み再びだったのよね。
助産師さんは、いつのまにか3人に増えてる。
あたしは、痛みで腰が引けないように、自分の腰に手を当てながら、歯を食いしばって耐えてたんだわ。
で、そこへ、先生の「力抜け」って指示だったから、痛いの覚悟で力抜いたのよ。
「そうそう、そういう感じ。いいよ」
って、先生に誉められつつ、看護婦さんは、肩にそっと手を添えてくれて。
そうしたら、その次の瞬間。
ぬるろん。
って感じで、何かが抜けて、痛みが引いて。
「それらしきもの」を先生が、看護婦さんに渡していて。
あ、産まれたんだ。
ってわかったわ。
(続く)
子宮口拡張
2004年11月29日ところで、処置に入る前に、ドクターグレイが申し出てくれたの。
病室を産科から婦人科に移しましょうかって。
「金曜日の時点で、産科に入院って決めたのは、胎児がもっと生きると思っていたんですよ。そうなると胎児の治療を考えて産科と判断したんだけど、こういう結果が出た以上は、産科にいるのはどうかと思ってね」
心臓が跳ね上がったわ。実は、あたし、入院するときも個室にするかどうか、随分悩んだのよ。産科の大部屋だと、周りは臨月の妊婦ばかりでしょう。タフにならなきゃと思いつつ、自分の状況を考えると、ちょっと不安になって。入院の説明をしてくれた助産婦さんにもその話はしたけど、特に気にも留めてもらえなかった。
なのに、ここで、ドクターグレイから、そんな気遣いをしてもらえるとはね。
一瞬悩んだとき、彼が「変えてもらいな」って、そっと言ったわ。
あたしも、「空いているなら、お願いします」って。
隣の妊婦さんがつけている機械から聞こえてくる胎児の心音。あれを今晩一晩中、ずっと聞いているってことを自分に課すなんてこと、そんなことを耐えても、何の意味もないと思ったから。
結局、看護婦さんに病室のことをお願いし、あたしたちは、処置のために部屋を移ったわ。
彼は廊下で待機。
あたしはさっきの部屋より一回り小さい処置室に移動。今思えば、陣痛室か、簡易の診察室だったんだと思うわ。
そこで、例の棒を、子宮口に入れることになったの。
「ちょっと痛いと思うけど、頑張ってね」
で、処置は、実際、少し痛かったわよぅぅぅぅ。
棒を入れるために、何か器具を先に入れるんだけど、これもそこそこ痛かった。
・・・これはプレイ、拡張プレイ・・・
心の中で呟きながら耐えたわ。
で、やっと5本。
なんとかいう薬も入れる予定だったんだけど、看護婦さんに問われたドクターグレイ。
「入んなくなっちゃったから、いいや」
ですって。
優しい先生なんだけど、やっぱり結構、大雑把だと思う、この人・・・。
で、最後に水を吸うようにガーゼを膣に入れて、それに水分を含ませて。
器具が膣口にあたらないか、先生の指を入れて確認。
なんつぅか、膣に指を入れてって、今まで色っぽいコトだと思ってたんだけど、産婦人科に通うようになってから、むしろ、結構力技だって感じがしてきたわ。
このときも、棒やガーゼをぐいぐい押してる感じで、痛かったのよぉぅ。
「とりあえず5本入れて、このまま5時間置いておきます。そうですね、次の5時ごろ、10本入れられたら、明日、出産です」
看護婦さんもそうなんだけど、結局、死産ってわかってても、出産って必ず言うのよね。この後、何度も聞かされたわ。
で、その処置が終わったら、病室へ。
動くと棒がはずれちゃう可能性があるってことで、安静を言いつけられたわ。「動くと痛いから動く気もなくなるはずですけど」って言われたけど、それほど痛くもなかった。
もうすでに、婦人科の病室に移れることがわかってたから、あたしは直接そちらへ。
彼は産科の病室での荷物を持って移動。
彼曰く
「病室移ってよかったよ」
ですって。彼が荷物を取りに産科の病室に行ったとき、ちょうど昼時だったから、同室の妊婦さん同士でカーテン開けて食べてて、いろいろおしゃべりしてたんだとか。確かにそりゃ、移ってよかったわ。今度の病室は、二人部屋。
ちなみに、同室者は寝たきりのおばあさん。でも、あたしが入っていったら、もう不躾なくらいじぃぃぃぃぃって見るの。目に力があって、全然死にそうじゃなかったから、安心したわ。
そこで、ひたすら5時間。
彼は前夜眠れなかったらしくて、椅子でうたた寝。
あたしは、買ってきた本を読んでたわ。
とりあえず、森岡正博の「生命学に何ができるか」。この本には、優生学とフェミの話が出ているの。産む女性の権利としての中絶と、障害者となる可能性のある胎児の生まれる権利のお話。
何もこんなときに、そんな本を読まなくっても、って彼には言われたんだけど、あたし、結局、気になることって、とことん考えないと気がすまないの。別のことを考えて気を紛らわせるってできないのよね。
だから、できるだけ、障害児というものが自分の可能性として少しでもリアルに感じられるときに、この本を読んで、例の問題について、少しでも多くのことを、考えておきたかったのよ。
この本の中で面白かったのは、人が生きていくうえで、重要だと思われる、絶対的自己肯定感の話。
正しく理解してないかもしれないんだけど、森岡氏は、この本の中で、人が生きていく上で、「自分がどんな人間であろうと生を肯定された存在である」っていう感覚が重要ではないかって提示しているのね。
染色体検査、障害を理由にする中絶などは、こうした肯定感を揺るがす可能性がある、というわけ。
あたしは、これをとても興味深く思ったわ。
確かに染色体検査や障害を理由にした中絶が、至極一般的なものになったとしたら、そこから「もし自分が障害を持って生まれてくる可能性があったら、親は自分を産んでいなかったかもしれない」という発想を持つ人が増えることは、想像に難くない。
そこには、すでに「どんな人間であろうと生を肯定される」ということがあり得ないのよ。
今回、障害のある可能性をある子を産むと決意したとき、あたしが怖いなと思ったのは、障害者でも生もうとするなんて「無責任な親」という見方だった。それくらい、世の中は、「障害のある子どもなら産まないという決断のほうがまっとうだ」と思っているってこと。
そういう世の中に生まれてきたあたしたちは、絶対的自己肯定感を持つことはできるのかしら。
生まれてくることさえ、条件付き。
もちろん、受精や子宮内で育つ段階で自然淘汰というのはあるだろうけれど、人間の意志で淘汰するのとは違う。
あたしは、あんまり無償の愛ってのが好きじゃないんだけど、誰か一人でいいから、ただ生まれてくることだけでも肯定されたいと、人が思うことがあっても不思議はないと思うわ。
さて、5時になって、さらに処置。
この5本を抜くときが、1番、痛かったの!
そして、この後、10本を入れなおすのが、2番目に痛かったの!
もういや!
ドクターグレイが
「1本、2本、3本・・・」
って数えながら入れてくんだけど、6本目7本目が特に痛かった。
無理やり広げられてるぅぅぅぅ、
切れる切れる切れるぅぅぅ、
って感じ。
8,9,10は、その痛みのせいか、わりと耐えられたわね。
それにしても、明日はいよいよ陣痛よ。
男なら気が狂うという痛みよ!
「陣痛って言うからには、痛いんですよね?」
って、股広げたままドクターグレイに尋ねたら
「そうだねぇ、うん、痛くないことは、ないねぇ」
って、思いやりがあるんだかないんだか!
その後、唐突に、「染色体検査、どうする?」って聞かれたわ。
彼と、結論は出してなかったんだけど
「準備もあるから、決めて」
みたいな感じだったんで、
「やらなくていいです」
と回答。
またもや車椅子で病室に移動。
で、彼に染色体検査のこと、やらなくていいよね、って確認したわ。
それにしても、10本入れると、さすがに動くだけで鈍痛があるの。なんかつまって、押されてるって感じの鈍痛。
その日は大人しく、「世界丸見えテレビ特捜部」を見て、それから「ラストクリスマス」の織田くんを見て、本を読んで就寝。
病室を産科から婦人科に移しましょうかって。
「金曜日の時点で、産科に入院って決めたのは、胎児がもっと生きると思っていたんですよ。そうなると胎児の治療を考えて産科と判断したんだけど、こういう結果が出た以上は、産科にいるのはどうかと思ってね」
心臓が跳ね上がったわ。実は、あたし、入院するときも個室にするかどうか、随分悩んだのよ。産科の大部屋だと、周りは臨月の妊婦ばかりでしょう。タフにならなきゃと思いつつ、自分の状況を考えると、ちょっと不安になって。入院の説明をしてくれた助産婦さんにもその話はしたけど、特に気にも留めてもらえなかった。
なのに、ここで、ドクターグレイから、そんな気遣いをしてもらえるとはね。
一瞬悩んだとき、彼が「変えてもらいな」って、そっと言ったわ。
あたしも、「空いているなら、お願いします」って。
隣の妊婦さんがつけている機械から聞こえてくる胎児の心音。あれを今晩一晩中、ずっと聞いているってことを自分に課すなんてこと、そんなことを耐えても、何の意味もないと思ったから。
結局、看護婦さんに病室のことをお願いし、あたしたちは、処置のために部屋を移ったわ。
彼は廊下で待機。
あたしはさっきの部屋より一回り小さい処置室に移動。今思えば、陣痛室か、簡易の診察室だったんだと思うわ。
そこで、例の棒を、子宮口に入れることになったの。
「ちょっと痛いと思うけど、頑張ってね」
で、処置は、実際、少し痛かったわよぅぅぅぅ。
棒を入れるために、何か器具を先に入れるんだけど、これもそこそこ痛かった。
・・・これはプレイ、拡張プレイ・・・
心の中で呟きながら耐えたわ。
で、やっと5本。
なんとかいう薬も入れる予定だったんだけど、看護婦さんに問われたドクターグレイ。
「入んなくなっちゃったから、いいや」
ですって。
優しい先生なんだけど、やっぱり結構、大雑把だと思う、この人・・・。
で、最後に水を吸うようにガーゼを膣に入れて、それに水分を含ませて。
器具が膣口にあたらないか、先生の指を入れて確認。
なんつぅか、膣に指を入れてって、今まで色っぽいコトだと思ってたんだけど、産婦人科に通うようになってから、むしろ、結構力技だって感じがしてきたわ。
このときも、棒やガーゼをぐいぐい押してる感じで、痛かったのよぉぅ。
「とりあえず5本入れて、このまま5時間置いておきます。そうですね、次の5時ごろ、10本入れられたら、明日、出産です」
看護婦さんもそうなんだけど、結局、死産ってわかってても、出産って必ず言うのよね。この後、何度も聞かされたわ。
で、その処置が終わったら、病室へ。
動くと棒がはずれちゃう可能性があるってことで、安静を言いつけられたわ。「動くと痛いから動く気もなくなるはずですけど」って言われたけど、それほど痛くもなかった。
もうすでに、婦人科の病室に移れることがわかってたから、あたしは直接そちらへ。
彼は産科の病室での荷物を持って移動。
彼曰く
「病室移ってよかったよ」
ですって。彼が荷物を取りに産科の病室に行ったとき、ちょうど昼時だったから、同室の妊婦さん同士でカーテン開けて食べてて、いろいろおしゃべりしてたんだとか。確かにそりゃ、移ってよかったわ。今度の病室は、二人部屋。
ちなみに、同室者は寝たきりのおばあさん。でも、あたしが入っていったら、もう不躾なくらいじぃぃぃぃぃって見るの。目に力があって、全然死にそうじゃなかったから、安心したわ。
そこで、ひたすら5時間。
彼は前夜眠れなかったらしくて、椅子でうたた寝。
あたしは、買ってきた本を読んでたわ。
とりあえず、森岡正博の「生命学に何ができるか」。この本には、優生学とフェミの話が出ているの。産む女性の権利としての中絶と、障害者となる可能性のある胎児の生まれる権利のお話。
何もこんなときに、そんな本を読まなくっても、って彼には言われたんだけど、あたし、結局、気になることって、とことん考えないと気がすまないの。別のことを考えて気を紛らわせるってできないのよね。
だから、できるだけ、障害児というものが自分の可能性として少しでもリアルに感じられるときに、この本を読んで、例の問題について、少しでも多くのことを、考えておきたかったのよ。
この本の中で面白かったのは、人が生きていくうえで、重要だと思われる、絶対的自己肯定感の話。
正しく理解してないかもしれないんだけど、森岡氏は、この本の中で、人が生きていく上で、「自分がどんな人間であろうと生を肯定された存在である」っていう感覚が重要ではないかって提示しているのね。
染色体検査、障害を理由にする中絶などは、こうした肯定感を揺るがす可能性がある、というわけ。
あたしは、これをとても興味深く思ったわ。
確かに染色体検査や障害を理由にした中絶が、至極一般的なものになったとしたら、そこから「もし自分が障害を持って生まれてくる可能性があったら、親は自分を産んでいなかったかもしれない」という発想を持つ人が増えることは、想像に難くない。
そこには、すでに「どんな人間であろうと生を肯定される」ということがあり得ないのよ。
今回、障害のある可能性をある子を産むと決意したとき、あたしが怖いなと思ったのは、障害者でも生もうとするなんて「無責任な親」という見方だった。それくらい、世の中は、「障害のある子どもなら産まないという決断のほうがまっとうだ」と思っているってこと。
そういう世の中に生まれてきたあたしたちは、絶対的自己肯定感を持つことはできるのかしら。
生まれてくることさえ、条件付き。
もちろん、受精や子宮内で育つ段階で自然淘汰というのはあるだろうけれど、人間の意志で淘汰するのとは違う。
あたしは、あんまり無償の愛ってのが好きじゃないんだけど、誰か一人でいいから、ただ生まれてくることだけでも肯定されたいと、人が思うことがあっても不思議はないと思うわ。
さて、5時になって、さらに処置。
この5本を抜くときが、1番、痛かったの!
そして、この後、10本を入れなおすのが、2番目に痛かったの!
もういや!
ドクターグレイが
「1本、2本、3本・・・」
って数えながら入れてくんだけど、6本目7本目が特に痛かった。
無理やり広げられてるぅぅぅぅ、
切れる切れる切れるぅぅぅ、
って感じ。
8,9,10は、その痛みのせいか、わりと耐えられたわね。
それにしても、明日はいよいよ陣痛よ。
男なら気が狂うという痛みよ!
「陣痛って言うからには、痛いんですよね?」
って、股広げたままドクターグレイに尋ねたら
「そうだねぇ、うん、痛くないことは、ないねぇ」
って、思いやりがあるんだかないんだか!
その後、唐突に、「染色体検査、どうする?」って聞かれたわ。
彼と、結論は出してなかったんだけど
「準備もあるから、決めて」
みたいな感じだったんで、
「やらなくていいです」
と回答。
またもや車椅子で病室に移動。
で、彼に染色体検査のこと、やらなくていいよね、って確認したわ。
それにしても、10本入れると、さすがに動くだけで鈍痛があるの。なんかつまって、押されてるって感じの鈍痛。
その日は大人しく、「世界丸見えテレビ特捜部」を見て、それから「ラストクリスマス」の織田くんを見て、本を読んで就寝。
胎児死亡とエロ小説
2004年11月29日その日の10時、時間通りに入院の受付を済ませたあたしは、そのまま産科の病棟に行くよう指示されたわ。仕事を休んだ彼も一緒。
ナースセンターで担当の看護婦さんに紹介され、案内されたのは4人部屋。
そのうち二人はカーテンを開けたままで、本を読んでた。
あたしの隣のベッドの人は、胎児の心拍を確認する機器をつけていたのか、心音とぼこぼこという水音が大きく聞こえてた。
そこで着替えを済ませ、荷物を棚に収めてしばらく、看護婦さんがエコーの検査をやるからと呼びに来たの。
一つ下のフロアに移動したあたしたち。今から思うと、多分、分娩室だったんだと思うけど、一室に案内され、間もなくドクターグレイも、外来でもよく見た超音波の機械を持って、やってきたわ。
お腹を出しての経腹エコー。
リンパ液が溜まっていることを表す黒い影が大きくなっていることが、あたしの目でもわかったの。ただ、気づかなかったのは、心臓が動いていないってこと。
ドクターグレイが、
「あ、もう心臓が止まってますね」
とあっさりと宣言したわ。いえ、あっさりと思えたけれど、ドクターグレイにとっても驚きだったことは、後で知ったけど。
彼があたしの手をぎゅっと握り締めた。多分、泣いてたんだと思うわ、顔は見なかったけど。見たら、あたしも泣いちゃうじゃない。
すぐに、水のたまり具合が前よりもひどくなっていること、特に肺がひどいこと、大人で言えば、肺水腫が大きくなって起きた心不全と考えられることを説明してくれたわ。
あたしも彼も、確かに影が大きくなっていることを認めたわ。
「金曜日か、二日前までは、間違いなく生きてたのにねぇ」
そんな分かりきってることを、ドクターグレイがしみじみと言うし、よってたかって、あたしを泣かしにかかってるのかと思って、出かけてる涙を一生懸命堪えたわよ。
だって、ほんとにこのあいだまで、心臓がぴくぴく、動いてたんですもの。
ただ、実はあたし、今朝入浴しながらふと、もう生きてないかもしれない、そう思ったの。
お腹の張りが弱いような、胸の張りが軽くなったような、そんな気がして。
でも、もしかしたらそれは、障害児であることを不安に感じたあたしが、「いっそ死んでてくれたら悩まなくて済むのに」と思ったせいかもしれない、そう思って。
だけど相手は思っただけなら気づかないはず、声に出さなきゃわからないはずって、「あたしも頑張るって決めたんだから、あんたも頑張んなさいよ」って言いながら、少し、泣いたわ。
弱ったら負けだ、そう思ったから、あたしは、あたしと子どもの両方に、頑張れって、根性見せろって言い続けた。
だけど、やっぱり、あのとき死んでたんだ・・・。
ドクターグレイの言葉を聞いたとき、一番初めに思ったのは、そのことだったわ。
そして、その後すぐ、悲しいけど、障害児を持って苦労しながら生き続けるのに比べたら、むしろ短期集中的な悲しみと後は甘ったれた感傷が続くだけのことになったんだ、と思ったわ。
せめて、障害児でも産もう、そう決めてから、この死に臨めてよかった、と思いかけて、それは危険な考えかもしれない、とも思ったわ。
ともあれ、そんな様々な思いが頭の中を渦巻いてた。
彼は、子どもの手足など、身体的な障害の可能性を、ドクターグレイに尋ねてた。
ドクターグレイは、エコーの機械を操作しながら、それについては何の問題もないと教えてくれてた。
そして次に尋ねられたのは、染色体検査をするか、ということ。
あたしたちは、一瞬、原因をはっきりさせた方がいいかと思って、「しようかな」と言い合ったけど、その後、あたしが、「次の妊娠の参考になるとか、この先のことに役立つような意味はありますか」って聞いたら、ドクターグレイは否定したの。あくまで今回、染色体異常かどうかわかるだけで、今回違ったから次回も違う、今回そうだったから次回もそう、とは言えないって。
そしてすぐに、急がないから、話し合っておいてって言われたわ。
それから次に言われたのは、胎児が死んでいる以上、外に出さなきゃいけない、もう16週に入っているから、通常の分娩と同じ、陣痛を起して産まなきゃいけないってこと。
これにはあたし、涙も引っ込むほど驚いたわよ。
以前流産したときは、全身麻酔の上でのソウハ手術だったからさ。
まさか、子どもが死んでるのにお産するなんて!って。
ドクターグレイ曰く、もう子どもが十分大きいので、子宮口を広げる器械を入れて、十分に広がったら陣痛促進剤を使います、とのこと。
呆然とするあたしに、
「今から入れれば、明日の午後ぐらいにお産になります。もうやりますか? それとも、もう少し後にしますか?」
とドクターグレイ。
「もう少し後にするっていうのは、処置の都合上、何か意味があるんですか?」
ってあたしが聞いたら、
「今、死亡が分かったばっかりだから、もう少しお腹の中においておいて、心の準備をしてもいいんですよ」
って言われたわ。ちょっとびっくりした。
あたし、かなり認識不足だったんだけど、ドクターグレイ、かなり優しくていい先生だったって、そのときから、じわじわと自覚し始めたわ。
一瞬、あたしは無意識にお腹に手をやって考えたわ。
以前、流産したとき、お腹の中から胎児がいなくなったとき、正直言って、とてもさみしかった。もう痛まない、すっきりと気分のいい体が、とてもさみしかった。
先生が、こう言ってくれるなら、もう少し、落ち着いてからにしようか、そう思いかけて、でも思い直したわ。
あたしが何を感傷的になろうと、もう、胎児は死んでいるんだってことよ。
「いいです、このまま処置をお願いします」
って言ってから、慌てて、彼を振り向いたら、彼も頷いてた。
「ところで、器械って、どうするんですか?」
って彼が聞いたら、ドクターグレイがちょっと席を外して、ソレを持ってきてくれたの。
マッチ棒みたいな細い茶色い棒に、タコ糸のような糸がついているもの。
「これは、海草でできてて、水分を吸うと膨らむんです。これを子宮口にまず5本入れて、それで広がったらさらに本数を増やしていくんですよ」
嗚呼、コレを聞いたときの、あたしの衝撃が想像できて!?
不謹慎だけど、あたし、心の中で大爆笑したわ。
こんなに悲しいのに、それでも笑えるのは父親を亡くしたときに分かってたけど、ほんと、悲劇のすぐ傍に、喜劇ってあるものね。
だって、あたし、その棒のこと、知ってたのよ。
水分を吸うと膨らむ海草の棒。
よりによって、あたしが愛読してるエロ小説に、時折出てくる責め具なのよ!わかるでしょ、各種拡張に大活躍ってやつよ!
実際に自分が使ったことはなかったけど、こんなところで使われることになるなんて・・・ってしみじみしてる場合じゃないのに。
嗚呼、胎児が死んでるってことが分かった上で死産に臨む悲劇の母っていう、これ以上ないくらい世間の同情を集められるあたしである筈なのに、こんなこと考えて笑っちゃうなんて!
エロのデパートを自称しちゃう我が身が悲しいったら!
とは言え、もちろん、ドクターグレイの前では素知らぬ顔よ。
ナースセンターで担当の看護婦さんに紹介され、案内されたのは4人部屋。
そのうち二人はカーテンを開けたままで、本を読んでた。
あたしの隣のベッドの人は、胎児の心拍を確認する機器をつけていたのか、心音とぼこぼこという水音が大きく聞こえてた。
そこで着替えを済ませ、荷物を棚に収めてしばらく、看護婦さんがエコーの検査をやるからと呼びに来たの。
一つ下のフロアに移動したあたしたち。今から思うと、多分、分娩室だったんだと思うけど、一室に案内され、間もなくドクターグレイも、外来でもよく見た超音波の機械を持って、やってきたわ。
お腹を出しての経腹エコー。
リンパ液が溜まっていることを表す黒い影が大きくなっていることが、あたしの目でもわかったの。ただ、気づかなかったのは、心臓が動いていないってこと。
ドクターグレイが、
「あ、もう心臓が止まってますね」
とあっさりと宣言したわ。いえ、あっさりと思えたけれど、ドクターグレイにとっても驚きだったことは、後で知ったけど。
彼があたしの手をぎゅっと握り締めた。多分、泣いてたんだと思うわ、顔は見なかったけど。見たら、あたしも泣いちゃうじゃない。
すぐに、水のたまり具合が前よりもひどくなっていること、特に肺がひどいこと、大人で言えば、肺水腫が大きくなって起きた心不全と考えられることを説明してくれたわ。
あたしも彼も、確かに影が大きくなっていることを認めたわ。
「金曜日か、二日前までは、間違いなく生きてたのにねぇ」
そんな分かりきってることを、ドクターグレイがしみじみと言うし、よってたかって、あたしを泣かしにかかってるのかと思って、出かけてる涙を一生懸命堪えたわよ。
だって、ほんとにこのあいだまで、心臓がぴくぴく、動いてたんですもの。
ただ、実はあたし、今朝入浴しながらふと、もう生きてないかもしれない、そう思ったの。
お腹の張りが弱いような、胸の張りが軽くなったような、そんな気がして。
でも、もしかしたらそれは、障害児であることを不安に感じたあたしが、「いっそ死んでてくれたら悩まなくて済むのに」と思ったせいかもしれない、そう思って。
だけど相手は思っただけなら気づかないはず、声に出さなきゃわからないはずって、「あたしも頑張るって決めたんだから、あんたも頑張んなさいよ」って言いながら、少し、泣いたわ。
弱ったら負けだ、そう思ったから、あたしは、あたしと子どもの両方に、頑張れって、根性見せろって言い続けた。
だけど、やっぱり、あのとき死んでたんだ・・・。
ドクターグレイの言葉を聞いたとき、一番初めに思ったのは、そのことだったわ。
そして、その後すぐ、悲しいけど、障害児を持って苦労しながら生き続けるのに比べたら、むしろ短期集中的な悲しみと後は甘ったれた感傷が続くだけのことになったんだ、と思ったわ。
せめて、障害児でも産もう、そう決めてから、この死に臨めてよかった、と思いかけて、それは危険な考えかもしれない、とも思ったわ。
ともあれ、そんな様々な思いが頭の中を渦巻いてた。
彼は、子どもの手足など、身体的な障害の可能性を、ドクターグレイに尋ねてた。
ドクターグレイは、エコーの機械を操作しながら、それについては何の問題もないと教えてくれてた。
そして次に尋ねられたのは、染色体検査をするか、ということ。
あたしたちは、一瞬、原因をはっきりさせた方がいいかと思って、「しようかな」と言い合ったけど、その後、あたしが、「次の妊娠の参考になるとか、この先のことに役立つような意味はありますか」って聞いたら、ドクターグレイは否定したの。あくまで今回、染色体異常かどうかわかるだけで、今回違ったから次回も違う、今回そうだったから次回もそう、とは言えないって。
そしてすぐに、急がないから、話し合っておいてって言われたわ。
それから次に言われたのは、胎児が死んでいる以上、外に出さなきゃいけない、もう16週に入っているから、通常の分娩と同じ、陣痛を起して産まなきゃいけないってこと。
これにはあたし、涙も引っ込むほど驚いたわよ。
以前流産したときは、全身麻酔の上でのソウハ手術だったからさ。
まさか、子どもが死んでるのにお産するなんて!って。
ドクターグレイ曰く、もう子どもが十分大きいので、子宮口を広げる器械を入れて、十分に広がったら陣痛促進剤を使います、とのこと。
呆然とするあたしに、
「今から入れれば、明日の午後ぐらいにお産になります。もうやりますか? それとも、もう少し後にしますか?」
とドクターグレイ。
「もう少し後にするっていうのは、処置の都合上、何か意味があるんですか?」
ってあたしが聞いたら、
「今、死亡が分かったばっかりだから、もう少しお腹の中においておいて、心の準備をしてもいいんですよ」
って言われたわ。ちょっとびっくりした。
あたし、かなり認識不足だったんだけど、ドクターグレイ、かなり優しくていい先生だったって、そのときから、じわじわと自覚し始めたわ。
一瞬、あたしは無意識にお腹に手をやって考えたわ。
以前、流産したとき、お腹の中から胎児がいなくなったとき、正直言って、とてもさみしかった。もう痛まない、すっきりと気分のいい体が、とてもさみしかった。
先生が、こう言ってくれるなら、もう少し、落ち着いてからにしようか、そう思いかけて、でも思い直したわ。
あたしが何を感傷的になろうと、もう、胎児は死んでいるんだってことよ。
「いいです、このまま処置をお願いします」
って言ってから、慌てて、彼を振り向いたら、彼も頷いてた。
「ところで、器械って、どうするんですか?」
って彼が聞いたら、ドクターグレイがちょっと席を外して、ソレを持ってきてくれたの。
マッチ棒みたいな細い茶色い棒に、タコ糸のような糸がついているもの。
「これは、海草でできてて、水分を吸うと膨らむんです。これを子宮口にまず5本入れて、それで広がったらさらに本数を増やしていくんですよ」
嗚呼、コレを聞いたときの、あたしの衝撃が想像できて!?
不謹慎だけど、あたし、心の中で大爆笑したわ。
こんなに悲しいのに、それでも笑えるのは父親を亡くしたときに分かってたけど、ほんと、悲劇のすぐ傍に、喜劇ってあるものね。
だって、あたし、その棒のこと、知ってたのよ。
水分を吸うと膨らむ海草の棒。
よりによって、あたしが愛読してるエロ小説に、時折出てくる責め具なのよ!わかるでしょ、各種拡張に大活躍ってやつよ!
実際に自分が使ったことはなかったけど、こんなところで使われることになるなんて・・・ってしみじみしてる場合じゃないのに。
嗚呼、胎児が死んでるってことが分かった上で死産に臨む悲劇の母っていう、これ以上ないくらい世間の同情を集められるあたしである筈なのに、こんなこと考えて笑っちゃうなんて!
エロのデパートを自称しちゃう我が身が悲しいったら!
とは言え、もちろん、ドクターグレイの前では素知らぬ顔よ。
なんで、産もうと思うかね
2004年11月28日そう。
結論から言うと、「やっぱり産もう」って、二人でそう決めたの。
あはははは。
「やっぱり」って感じでしょ。
やぁね、結局、頭でっかちのインテリゲンチャはさ。
正直に書くのは恥ずかしいけど。
今住んでる部屋からは、天気のいい日、富士山が見えるのよ。
その日も、きれいな夕焼けのなか、富士山が見えたの。
で、それ見ながら、思わず彼に言っちゃったのね。
「この子に、この夕焼けを見せたいね」
って。
いやん、おセンチ。
結局、あたし自身が、「それでいい」って感じで生きてるわけよ。
前から書いてることだけど、恋愛も、結婚も、仕事も、出産も、子育ても、それらはみんな、あたしの人生の一部分に過ぎないし、いろんなことが、あたしの人生を形作ってるわけ。
「自分らしい生き方」なんて言葉もあるけど、「あたし」が生きてることが「あたしの人生」である以上、それはいちいち「あたしらしく」生きなくても自ずと「あたしらしい人生」になっていくと、あたしは思ってる。
だから、考えてみたら今更、「障害児でも産むか」なんてことを考えたときに、少なくとも、16週という時点で、「産まない」という結論が出るわけがないんだわ。
だって、あたし自身、幸せになろうと思って生きてるわけじゃないんだもの。
生きて、いろいろなものを見て、感じたいっていう、ただそれだけ。
例え不幸でも、「死んだ方がマシ」って思っても、そう感じる、その瞬間が、あたしは、なんとなく、イイんだわ。
結果的に自殺したとしてもだ、そこに至るまでの感情や衝動を体験して、結論を出してく過程が、イイんだわ。
あたしだったら、たとえ苦しむだけの人生でも、初めからないよりはイイ。
これはあくまで、あたしだけの考えで、それが正しいとか、皆そうだとは思わないし、あたしがまだ、それだけの苦しみに出会っていないから、そう思うだけなのかもしれないけどね。
ただ、あたしがそう思ってそう生きてるんだから、この時点で中絶って結論は、出ないわけよ。
逆に言えば、こういう問題を突きつけられたとしても、あたしのそういう考え方を覆すには至らなかったわけよ。
補足するなら、妊娠16週の段階で、「間違いなく、苦しみしかないような人生を送る障害児が生まれる」という断言は、誰にもできないわ。
少なくとも確実な心臓の障害も、胎児の時点でなり、生まれてからなり、手術の可能性はあるわけだし。
染色体異常がわかったからと言って、必ず重篤な障害を持って生まれるわけじゃないし。
あくまで、語れるのは、可能性の問題。
それを言っちゃったらね、そもそも、二回も続けて流産する可能性なんて、すっごく低いのに、なっちゃったあたしですもの。
可能性なんて、いくら低くても、いくら高くても、どう出るかなんて、結局、最後までわからないのよ。
だとしたら、やっぱりね、産みましょう。
そして、どうしようもなくつらい生活でも、経験してみましょう。
「なぜ、産んだんだ」と責められたら、責めることができるほどに子どもが成長できたら、喜んで話しましょう。
たった一度の人生だもの。
そして、あたしは、結婚も離婚も体験してみなきゃ、何が大事かわからなかったバカだもの。
産んで、育ててみなきゃ、わからないことが、きっと、たくさんあると思うの。
出会ったことのない感情、出会ったことのない経験。
だとしたら、産んでみなきゃ。
中絶するってのもねぇ、先々「あたしは自分の子どもを殺したの」ってトラウマを持って苦しむのもアリだとは思うんだけどね。「産む」って決断も感情的だけど、「子どものことを考えたら、とてもかわいそうで産めないわ」ってのも、ちょっとね、なんか、あたしにはロマンティックすぎるように思えてしまって。
「人のために」ってことに寄っていくのには、慎重になってしまうのよね。
なんでかしらねぇ。
ここらへんは、この後も、のんびり考えていきましょう。
さて。
ちなみに、こんなことを考えながら「産む」と決めたあたしだけど、ずっとずっと揺れ続けてもいるの。
次の瞬間には「やっぱり産まない」って言うかもしれない。
彼にもそう言ったわ。
でも、それで仕方ないかなって思ってる。
揺らがない決意なんて、あたしには無理。
揺らぎ続けて、その都度確かめ続けて、そうしてできあがっていくのがあたしの気持ちだから。
ところで、今回購入した本の一部。
斉藤美奈子「妊娠小説」
森岡正博「生命学に何ができるか」
病院では、絶対に表紙が見えないようにカバーをかけなさいと、彼から厳命されちゃったわ。
結論から言うと、「やっぱり産もう」って、二人でそう決めたの。
あはははは。
「やっぱり」って感じでしょ。
やぁね、結局、頭でっかちのインテリゲンチャはさ。
正直に書くのは恥ずかしいけど。
今住んでる部屋からは、天気のいい日、富士山が見えるのよ。
その日も、きれいな夕焼けのなか、富士山が見えたの。
で、それ見ながら、思わず彼に言っちゃったのね。
「この子に、この夕焼けを見せたいね」
って。
いやん、おセンチ。
結局、あたし自身が、「それでいい」って感じで生きてるわけよ。
前から書いてることだけど、恋愛も、結婚も、仕事も、出産も、子育ても、それらはみんな、あたしの人生の一部分に過ぎないし、いろんなことが、あたしの人生を形作ってるわけ。
「自分らしい生き方」なんて言葉もあるけど、「あたし」が生きてることが「あたしの人生」である以上、それはいちいち「あたしらしく」生きなくても自ずと「あたしらしい人生」になっていくと、あたしは思ってる。
だから、考えてみたら今更、「障害児でも産むか」なんてことを考えたときに、少なくとも、16週という時点で、「産まない」という結論が出るわけがないんだわ。
だって、あたし自身、幸せになろうと思って生きてるわけじゃないんだもの。
生きて、いろいろなものを見て、感じたいっていう、ただそれだけ。
例え不幸でも、「死んだ方がマシ」って思っても、そう感じる、その瞬間が、あたしは、なんとなく、イイんだわ。
結果的に自殺したとしてもだ、そこに至るまでの感情や衝動を体験して、結論を出してく過程が、イイんだわ。
あたしだったら、たとえ苦しむだけの人生でも、初めからないよりはイイ。
これはあくまで、あたしだけの考えで、それが正しいとか、皆そうだとは思わないし、あたしがまだ、それだけの苦しみに出会っていないから、そう思うだけなのかもしれないけどね。
ただ、あたしがそう思ってそう生きてるんだから、この時点で中絶って結論は、出ないわけよ。
逆に言えば、こういう問題を突きつけられたとしても、あたしのそういう考え方を覆すには至らなかったわけよ。
補足するなら、妊娠16週の段階で、「間違いなく、苦しみしかないような人生を送る障害児が生まれる」という断言は、誰にもできないわ。
少なくとも確実な心臓の障害も、胎児の時点でなり、生まれてからなり、手術の可能性はあるわけだし。
染色体異常がわかったからと言って、必ず重篤な障害を持って生まれるわけじゃないし。
あくまで、語れるのは、可能性の問題。
それを言っちゃったらね、そもそも、二回も続けて流産する可能性なんて、すっごく低いのに、なっちゃったあたしですもの。
可能性なんて、いくら低くても、いくら高くても、どう出るかなんて、結局、最後までわからないのよ。
だとしたら、やっぱりね、産みましょう。
そして、どうしようもなくつらい生活でも、経験してみましょう。
「なぜ、産んだんだ」と責められたら、責めることができるほどに子どもが成長できたら、喜んで話しましょう。
たった一度の人生だもの。
そして、あたしは、結婚も離婚も体験してみなきゃ、何が大事かわからなかったバカだもの。
産んで、育ててみなきゃ、わからないことが、きっと、たくさんあると思うの。
出会ったことのない感情、出会ったことのない経験。
だとしたら、産んでみなきゃ。
中絶するってのもねぇ、先々「あたしは自分の子どもを殺したの」ってトラウマを持って苦しむのもアリだとは思うんだけどね。「産む」って決断も感情的だけど、「子どものことを考えたら、とてもかわいそうで産めないわ」ってのも、ちょっとね、なんか、あたしにはロマンティックすぎるように思えてしまって。
「人のために」ってことに寄っていくのには、慎重になってしまうのよね。
なんでかしらねぇ。
ここらへんは、この後も、のんびり考えていきましょう。
さて。
ちなみに、こんなことを考えながら「産む」と決めたあたしだけど、ずっとずっと揺れ続けてもいるの。
次の瞬間には「やっぱり産まない」って言うかもしれない。
彼にもそう言ったわ。
でも、それで仕方ないかなって思ってる。
揺らがない決意なんて、あたしには無理。
揺らぎ続けて、その都度確かめ続けて、そうしてできあがっていくのがあたしの気持ちだから。
ところで、今回購入した本の一部。
斉藤美奈子「妊娠小説」
森岡正博「生命学に何ができるか」
病院では、絶対に表紙が見えないようにカバーをかけなさいと、彼から厳命されちゃったわ。
障害児を産むか否か
2004年11月27日入院を控えたあたしは、まずは、現実逃避、っていうか、憂さ晴らしに走ったわね。
だって、入院したら、病院食じゃない!
おいしいもの、食べておかなきゃ!
って衝動のまま、土日は主に外食。
ついでに、近所のバザーで、ボタン台紙なんか見つけちゃって。
「バザーらしい買い物だよねー」
なんて、彼とハシャぎながら、お友達へのプレゼントに数枚購入したり。
パチモンを見つけて、そのロゴの見事さに思わず感動したり。フェイクなんて、オシャレさんじゃないけどさ。こう、厳しい制限の中で、いかにずらして、いかに似せるかって苦労が、AVのタイトルやAV女優の名前と通じるものがあって、好き!
あと、やったことと言えば、入院中に読む本の購入。普段、貧しい財源からやりくりしてる本代を、ここぞとばかりに大幅アップ。値段を気にせず、専門書も買っちゃうもんねー、という舞い上がりぶりよ。
丸の内に新しくできた丸善に行ったんだけど、よかったわよー。
ほしかった本は、ほとんどあったわ。
検索機が店内にたくさんあって、待たなくて済んだし。
トイレも広くてキレイ!
でも、漫画の品揃え悪すぎ!
結局、秋葉の本屋まで足延ばしちゃったわよ。
ってなことをやってるあいだに、さすがに気持ちも落ち着いてきたわけ。
「ねぇ、そろそろ、障害児でも産むかどうか、話しましょう」
とは言ったものの、そもそも、彼のスタンスは、はっきりしてるのよ。
だって、クリスチャンだもの。
基本的に、中絶は悪。
問題は、あたし。
「産む産まないは、アタシが決める」のフェミですから。
そして、実は、中絶問題は、フェミ的話題のなかで、あたしが遠ざけてきた数少ないテーマでもあって、なかなかに悩ましいのよね。
一応、断っておくけど、入院前の時点では、もちろん、あたしたちは、自分の子どもが「生き続ける」ことを前提に考えてた。
ドクターグレイも、死産の可能性はまだ低いと見てたわ。
だから、身体的、あるいは知的、精神的な障害を持つ子どもが、自分達の子どもとして生まれ、ともに生活していくという想像は、限りなく現実的だった。
普通の子どものように成長を喜べない。
自分では何もできない。
四六時中、目を離せない。
普通の保育園や学校に預けられない。
年老いても、自立していかない。
金銭的に苦しくなる。
生活を支配される。
想像もつかないような残酷で、嫌悪感をもよおすような情動を持つかもしれない。
コミュニケーションも取れないかもしれない。
愛せないかもしれない。
・・・考えるだけで、その場で思考停止したくなったわね。
でも、このままでいけば、起こる可能性の低くない自分の未来だからさ。
さてまず、「産まない」って選択肢からいきましょうか。
まあ、「世間体が悪い」っていう意見。
これは、あたし的には悩むほどのことでもないから、別にいいの。
まず、問題なのは、「子どもを育てる」ってことが、あたしがやりたいことのなかで、一番時間を占めるようになっても、後悔しないのかってことなのよ。
自分のあらゆる欲望を満たす時間。遊ぶ時間、食べる時間、勉強する時間、仕事をする時間、夫と過ごす時間、親の面倒を見る時間・・・それらを皆奪われる生活。
想像しただけでもうんざりするような「日常生活」。
自分勝手、薄情な人間って言われるかもしれないけど、日常生活に絡んでくる、長期的な苦痛ほどつらいものはないじゃない。
ここらへんを、きっちり覚悟しないで、後戻りできない一歩を踏み出すわけにはいかないわよね。
そして次に悩ましいのは、「子どもの幸せを考えてる?」っていう問題。いつもそうだけど、自分以外の人への愛情の示し方や幸せの問題は、本当に、あたしには難問よ。
「産まれてきて、人よりも苦労しなければいけない子がかわいそう」
「そりゃ、幸せな障害者もたくさんいるけど、そこまでに到達するまでには、人よりも苦労があったはず」
「その苦労をわかってて、敢えて産むなんて、かわいそう」
「普通の人だって、いろんなコンプレックスがあって、こんな自分、生まれてこなきゃよかった、死にたい、なんで産んだんだって思う人だっているのに、もし、子どもにそう聞かれたら、どうするの?」
「自分だったら、この子にとって、本当に幸せな生だったって言い切る自信がないし、そんな自信がなくて無責任なことできない」
「薄っぺらい正義感に流されて、不幸を背負わせないで」
「感情的にならないで」
「今いる障害者の人たちは、幸せかもしれないし、そのために、あたしたちは協力すべきだけど、そのことと、苦労することが分かってる子を敢えて産んで苦労させることとは別」
「障害者のなかにだって、今のこの世の中で、障害のある子ができたらかわいそうだから、産みたくない、産まないでって言う人だっているよ」
そういう言葉。
さて、次に「産む」派の意見。
「神からの授かりもの」ってのは、彼の主張ね。まあ、でもあたしは今のところ、無神論者なので、「だから何?」で終わってしまうの。やっぱり、ここでも問題になるのは、「子どもの幸せ」。「産まない」派の後者の意見に対応する形になって出てくるわけよね。
「障害児に生まれたらかわいそうって、ほんと?」
「普通の人より苦労するって、ほんと?」
「苦労するとしても、最終的に幸せになれるかもしれないのに、その可能性を潰すの?」
「胎児に人権は?」(21週以下の胎児に、この議論を蒸し返す必要はないのかもしれないけど、これは、死産してから考えさせられたことの一つでもあるの)
「障害児になる可能性が高いから中絶したのって、あなた、障害者の友達に言える?」
「親に、子どもが将来の幸せになるか不幸になるかを、判断することは可能なのか?」
そういう言葉。
ちなみにあたしの母親は、絶対に「産まない」派。
結婚をしたときから、「障害児だったら、中絶する勇気を持て」という人だった。
言うことは、確かにいちいちもっともだったし、産んだときに展開されるであろう生活を考えたら、産む理由なんて、どうひねり出しても出るはずがないわよね。
ただねぇ。
結局、あたしたちは、最終的には「産む」ことにしたわけよ。
だって、入院したら、病院食じゃない!
おいしいもの、食べておかなきゃ!
って衝動のまま、土日は主に外食。
ついでに、近所のバザーで、ボタン台紙なんか見つけちゃって。
「バザーらしい買い物だよねー」
なんて、彼とハシャぎながら、お友達へのプレゼントに数枚購入したり。
パチモンを見つけて、そのロゴの見事さに思わず感動したり。フェイクなんて、オシャレさんじゃないけどさ。こう、厳しい制限の中で、いかにずらして、いかに似せるかって苦労が、AVのタイトルやAV女優の名前と通じるものがあって、好き!
あと、やったことと言えば、入院中に読む本の購入。普段、貧しい財源からやりくりしてる本代を、ここぞとばかりに大幅アップ。値段を気にせず、専門書も買っちゃうもんねー、という舞い上がりぶりよ。
丸の内に新しくできた丸善に行ったんだけど、よかったわよー。
ほしかった本は、ほとんどあったわ。
検索機が店内にたくさんあって、待たなくて済んだし。
トイレも広くてキレイ!
でも、漫画の品揃え悪すぎ!
結局、秋葉の本屋まで足延ばしちゃったわよ。
ってなことをやってるあいだに、さすがに気持ちも落ち着いてきたわけ。
「ねぇ、そろそろ、障害児でも産むかどうか、話しましょう」
とは言ったものの、そもそも、彼のスタンスは、はっきりしてるのよ。
だって、クリスチャンだもの。
基本的に、中絶は悪。
問題は、あたし。
「産む産まないは、アタシが決める」のフェミですから。
そして、実は、中絶問題は、フェミ的話題のなかで、あたしが遠ざけてきた数少ないテーマでもあって、なかなかに悩ましいのよね。
一応、断っておくけど、入院前の時点では、もちろん、あたしたちは、自分の子どもが「生き続ける」ことを前提に考えてた。
ドクターグレイも、死産の可能性はまだ低いと見てたわ。
だから、身体的、あるいは知的、精神的な障害を持つ子どもが、自分達の子どもとして生まれ、ともに生活していくという想像は、限りなく現実的だった。
普通の子どものように成長を喜べない。
自分では何もできない。
四六時中、目を離せない。
普通の保育園や学校に預けられない。
年老いても、自立していかない。
金銭的に苦しくなる。
生活を支配される。
想像もつかないような残酷で、嫌悪感をもよおすような情動を持つかもしれない。
コミュニケーションも取れないかもしれない。
愛せないかもしれない。
・・・考えるだけで、その場で思考停止したくなったわね。
でも、このままでいけば、起こる可能性の低くない自分の未来だからさ。
さてまず、「産まない」って選択肢からいきましょうか。
まあ、「世間体が悪い」っていう意見。
これは、あたし的には悩むほどのことでもないから、別にいいの。
まず、問題なのは、「子どもを育てる」ってことが、あたしがやりたいことのなかで、一番時間を占めるようになっても、後悔しないのかってことなのよ。
自分のあらゆる欲望を満たす時間。遊ぶ時間、食べる時間、勉強する時間、仕事をする時間、夫と過ごす時間、親の面倒を見る時間・・・それらを皆奪われる生活。
想像しただけでもうんざりするような「日常生活」。
自分勝手、薄情な人間って言われるかもしれないけど、日常生活に絡んでくる、長期的な苦痛ほどつらいものはないじゃない。
ここらへんを、きっちり覚悟しないで、後戻りできない一歩を踏み出すわけにはいかないわよね。
そして次に悩ましいのは、「子どもの幸せを考えてる?」っていう問題。いつもそうだけど、自分以外の人への愛情の示し方や幸せの問題は、本当に、あたしには難問よ。
「産まれてきて、人よりも苦労しなければいけない子がかわいそう」
「そりゃ、幸せな障害者もたくさんいるけど、そこまでに到達するまでには、人よりも苦労があったはず」
「その苦労をわかってて、敢えて産むなんて、かわいそう」
「普通の人だって、いろんなコンプレックスがあって、こんな自分、生まれてこなきゃよかった、死にたい、なんで産んだんだって思う人だっているのに、もし、子どもにそう聞かれたら、どうするの?」
「自分だったら、この子にとって、本当に幸せな生だったって言い切る自信がないし、そんな自信がなくて無責任なことできない」
「薄っぺらい正義感に流されて、不幸を背負わせないで」
「感情的にならないで」
「今いる障害者の人たちは、幸せかもしれないし、そのために、あたしたちは協力すべきだけど、そのことと、苦労することが分かってる子を敢えて産んで苦労させることとは別」
「障害者のなかにだって、今のこの世の中で、障害のある子ができたらかわいそうだから、産みたくない、産まないでって言う人だっているよ」
そういう言葉。
さて、次に「産む」派の意見。
「神からの授かりもの」ってのは、彼の主張ね。まあ、でもあたしは今のところ、無神論者なので、「だから何?」で終わってしまうの。やっぱり、ここでも問題になるのは、「子どもの幸せ」。「産まない」派の後者の意見に対応する形になって出てくるわけよね。
「障害児に生まれたらかわいそうって、ほんと?」
「普通の人より苦労するって、ほんと?」
「苦労するとしても、最終的に幸せになれるかもしれないのに、その可能性を潰すの?」
「胎児に人権は?」(21週以下の胎児に、この議論を蒸し返す必要はないのかもしれないけど、これは、死産してから考えさせられたことの一つでもあるの)
「障害児になる可能性が高いから中絶したのって、あなた、障害者の友達に言える?」
「親に、子どもが将来の幸せになるか不幸になるかを、判断することは可能なのか?」
そういう言葉。
ちなみにあたしの母親は、絶対に「産まない」派。
結婚をしたときから、「障害児だったら、中絶する勇気を持て」という人だった。
言うことは、確かにいちいちもっともだったし、産んだときに展開されるであろう生活を考えたら、産む理由なんて、どうひねり出しても出るはずがないわよね。
ただねぇ。
結局、あたしたちは、最終的には「産む」ことにしたわけよ。
検診で胎児異常が分かる
2004年11月26日今回の死産を語るとしたら、スタートは間違いなくここでしょうね。
この日、夫は週休日だったので、あたしたち二人は揃って病院に行ったの。
以前の流産のことがあるから、「もしかしたら」という不安は必ず心の中にあったものの、つわりもこれまでどおりで、お腹も普通に膨らみつつあり、腹痛も出血もなかったから、なんとなく安心していたのも事実よ。
普段よりも待ち時間が少し長く、やっと呼ばれたあたしは、夫の同伴を告げ、二人で診察室に入ったの。
今日から経腹エコーでの診察。
それまでは経膣エコーという、要するに、膣に細長い機械を入れて胎児を見る診察だったの。だけど、その日からは、もう胎児も大きくなったから経腹の診察で状況を判断できるだろうという、まあそういう時期だったわけ。
子宮底を計るという、もう一つ初めての作業もあり、お腹にゼリーを塗るまでは、「初めて尽くしですね」なんて、医者と看護婦と彼と一緒に笑ってたわ。
ただ、映し出されたものを見て、なんとなく変だと、あたしですら分かったわ。
ドクターグレイも黙って画面を見て何も言わない。
彼も、状況を察してはいたみたい。
しばらく沈黙の状態が続いて、おもむろにドクターグレイから説明があったの。
胎児の首の周辺、頭蓋骨と皮膚の間、肺に水、すなわちリンパ液が溜まっているとのこと。
一過性の場合もあるし、異常がないこともあるけれど、16週くらいには消えているケースがほとんどなので、この時期に残っているということは、異常がないとは考えにくいということ。
可能性としては、心臓の異常、それから染色体の異常があるとのこと。
いずれにしても、詳しい検査が必要、ということ。
その後、再度、経膣エコーをしたわ。
所見は変わらず。
あたしは月曜日から入院して精密検査を受けることになったの。
ちなみに染色体の検査、すなわち羊水の検査には、いくつかの問題が伴うわ。
一つはその検査によって、若干、流産の危険性が高まること。
もう一つは、染色体異常という結果が出たときに、人工中絶するかどうか。
もう一つは、染色体異常という結果が出ずに、心臓奇形の恐れがあるとき、人工中絶するかどうか。
まあ、微妙な問題は他にも幾つかあったんだけど、要するに、
「検査の後、障害児だという可能性が高くても産むのかどうかを決断する必要がある」
という趣旨のことを言われたわ。
そもそも、そうした検査のリスク、それから異常や障害がわかったとして、どういう状態で産まれてくる可能性があるのかということを含めて、今後の方針を決めるという行為は、当事者と医師で、十分に検討する必要があるわけじゃない。
結局、午前中に簡単な超音波検査をした後、月曜の昼に話し合いましょう、ということになったわ。
そもそも胎児の心臓に障害があって首の周りにリンパ液が溜まるというのは、滅多にはないけれど、1年に何件かはあるケースなんですって。
以前に、出産まで至ったケースもあり、その場合は心臓に障害を持って生まれたとのこと。
「ただ、だからと言って、心臓の障害だけで、必ず産まれるとも限らないし、どこまで胎児の命が持つか分からない」
って、ドクターグレイから釘を刺されちゃった。
ちなみに、あたしが経膣エコーの準備をしている間、夫はドクターグレイから、胎児の生存率は40パーセントって言われてたんですって。
ともかくも、あたしはまだ中絶可能期間内なので(妊娠21週までは人工中絶が可能なの)、検査を急ぎましょう、と言われて、その日の診察はおしまい。
でも、これだけのことで、40分近くかかったの。
思わず
「外で待ってる他の人に悪いわね」
って夫に言ったら、看護婦さんに
「そんなこと、気にしなくていいんです!」
って言われたわ。優しい人ね。
この後、あたしは出勤。夫は自動車教習所へ。
とにかく月曜日から入院が決まっているからには、やっておくことは山ほどあったのよ。
職場で係長や課長補佐に報告しようとしたところ、あいにく、その日は二人とも超多忙。
しかたないので、あたしは、溜まってる仕事をひたすら片付け、人に託せる状態に整えたわ。
それから、数人の職場のお友達に、しばらく検査入院することをメール。
終業直前、やっと係長に会えて、入院の話ができたんだけど、あまりに突然のことだったので、彼、固まってた。
当たり前よね。すっごい迷惑掛けちゃったわよ。あーん、自己嫌悪。
補佐には結局会えなかったので、補佐も含めて係の皆に、現状と入院先、自宅の連絡先、業務用PCのパスワードなどをメールしたわ。
で、やっと帰宅。
仕事に一区切りつけたあたしと夫がやらなきゃいけないのは、とりあえず、「障害児でも産むか」という話をしておくことだったのよ。
まずは、情報から、という発想は二人とも同じで、病院で聞いた胎児の症状を元に、本やネットを調べたわ。
このときはまだね、ドクターグレイもあたしたちも、胎児治療の可能性を、かなり考えていたからね。
というわけで、話は翌日27日へ。
この日、夫は週休日だったので、あたしたち二人は揃って病院に行ったの。
以前の流産のことがあるから、「もしかしたら」という不安は必ず心の中にあったものの、つわりもこれまでどおりで、お腹も普通に膨らみつつあり、腹痛も出血もなかったから、なんとなく安心していたのも事実よ。
普段よりも待ち時間が少し長く、やっと呼ばれたあたしは、夫の同伴を告げ、二人で診察室に入ったの。
今日から経腹エコーでの診察。
それまでは経膣エコーという、要するに、膣に細長い機械を入れて胎児を見る診察だったの。だけど、その日からは、もう胎児も大きくなったから経腹の診察で状況を判断できるだろうという、まあそういう時期だったわけ。
子宮底を計るという、もう一つ初めての作業もあり、お腹にゼリーを塗るまでは、「初めて尽くしですね」なんて、医者と看護婦と彼と一緒に笑ってたわ。
ただ、映し出されたものを見て、なんとなく変だと、あたしですら分かったわ。
ドクターグレイも黙って画面を見て何も言わない。
彼も、状況を察してはいたみたい。
しばらく沈黙の状態が続いて、おもむろにドクターグレイから説明があったの。
胎児の首の周辺、頭蓋骨と皮膚の間、肺に水、すなわちリンパ液が溜まっているとのこと。
一過性の場合もあるし、異常がないこともあるけれど、16週くらいには消えているケースがほとんどなので、この時期に残っているということは、異常がないとは考えにくいということ。
可能性としては、心臓の異常、それから染色体の異常があるとのこと。
いずれにしても、詳しい検査が必要、ということ。
その後、再度、経膣エコーをしたわ。
所見は変わらず。
あたしは月曜日から入院して精密検査を受けることになったの。
ちなみに染色体の検査、すなわち羊水の検査には、いくつかの問題が伴うわ。
一つはその検査によって、若干、流産の危険性が高まること。
もう一つは、染色体異常という結果が出たときに、人工中絶するかどうか。
もう一つは、染色体異常という結果が出ずに、心臓奇形の恐れがあるとき、人工中絶するかどうか。
まあ、微妙な問題は他にも幾つかあったんだけど、要するに、
「検査の後、障害児だという可能性が高くても産むのかどうかを決断する必要がある」
という趣旨のことを言われたわ。
そもそも、そうした検査のリスク、それから異常や障害がわかったとして、どういう状態で産まれてくる可能性があるのかということを含めて、今後の方針を決めるという行為は、当事者と医師で、十分に検討する必要があるわけじゃない。
結局、午前中に簡単な超音波検査をした後、月曜の昼に話し合いましょう、ということになったわ。
そもそも胎児の心臓に障害があって首の周りにリンパ液が溜まるというのは、滅多にはないけれど、1年に何件かはあるケースなんですって。
以前に、出産まで至ったケースもあり、その場合は心臓に障害を持って生まれたとのこと。
「ただ、だからと言って、心臓の障害だけで、必ず産まれるとも限らないし、どこまで胎児の命が持つか分からない」
って、ドクターグレイから釘を刺されちゃった。
ちなみに、あたしが経膣エコーの準備をしている間、夫はドクターグレイから、胎児の生存率は40パーセントって言われてたんですって。
ともかくも、あたしはまだ中絶可能期間内なので(妊娠21週までは人工中絶が可能なの)、検査を急ぎましょう、と言われて、その日の診察はおしまい。
でも、これだけのことで、40分近くかかったの。
思わず
「外で待ってる他の人に悪いわね」
って夫に言ったら、看護婦さんに
「そんなこと、気にしなくていいんです!」
って言われたわ。優しい人ね。
この後、あたしは出勤。夫は自動車教習所へ。
とにかく月曜日から入院が決まっているからには、やっておくことは山ほどあったのよ。
職場で係長や課長補佐に報告しようとしたところ、あいにく、その日は二人とも超多忙。
しかたないので、あたしは、溜まってる仕事をひたすら片付け、人に託せる状態に整えたわ。
それから、数人の職場のお友達に、しばらく検査入院することをメール。
終業直前、やっと係長に会えて、入院の話ができたんだけど、あまりに突然のことだったので、彼、固まってた。
当たり前よね。すっごい迷惑掛けちゃったわよ。あーん、自己嫌悪。
補佐には結局会えなかったので、補佐も含めて係の皆に、現状と入院先、自宅の連絡先、業務用PCのパスワードなどをメールしたわ。
で、やっと帰宅。
仕事に一区切りつけたあたしと夫がやらなきゃいけないのは、とりあえず、「障害児でも産むか」という話をしておくことだったのよ。
まずは、情報から、という発想は二人とも同じで、病院で聞いた胎児の症状を元に、本やネットを調べたわ。
このときはまだね、ドクターグレイもあたしたちも、胎児治療の可能性を、かなり考えていたからね。
というわけで、話は翌日27日へ。
妊娠12週雑感
2004年11月3日とうとう来た!来たわ!
お腹がでかくなってきたのよ!ぎゃぁぁぁ!
すでに、通常からちょっとタイトだったパンツはすでに釦が止まらないわ。
ちょっと太ってた頃の服を引っ張り出して着てるの。
体重は増えてないのに、お腹だけ出てくるって、不思議。
いくらお腹に力を入れても引っ込まないのよねぇ、当たり前? こりゃ失敬。
このまま胸だけ大きくなったら、ダーリンにあんなことやこんなことしてあげようかしら♪って、とあえない希望をもっていたけど、もちろん、粉々に砕け散ったわ。
それにしても、腹が膨らんでくると、いよいよ、
「何か入ってる」感も膨らむわ。
もっと大きくなったら、胎児には積極的に話しかけるとよい、なんて本に書いてあるんだけど、なんて言うのかしら。
あたしの腹の中にいて、内臓と繋がってるくせに、思うだけじゃ伝わらない、声に出さなきゃ相手にはわからないってあたり、しっかり「自分以外の人間」なのねぇって感じがして、面白いわ。
体内に他人がいるんだから、妊娠って、不思議感ばっちりの体験よね。
ところで、腹が出て実質的に困るのがお洋服よ。
経産婦のお友達からマタニティウェアを分けていただいたんだけど、仕事に着ていく服が圧倒的に足りなくなってきたので、マタニティショップにも行ってきたの。
水天宮にあるAngeというお店。
通販をやってるアンジェリーベのショップ。
ネットを見てたら、わりと近かったから、覗いてみようかしらって思い立ったの。
ところが、よ。
日が悪かった、悪すぎたわ!
知ってた?
今日って戌の日だったんですって?
そのうえ、大安。
さらにさらに。
11月3日で「いいお産の日」。
って、皆さん、あたしが決めたんじゃないわ!石を投げないで!
というのも、ショップがあまりに込んでたから、店員さんに聞いたのよ。
そうしたら、上記の話を聞かせてくれて。
東京の方はご存知かもしれないけど、水天宮って、水天宮神社という安産の神社があるところなの。
結局今日は、「お参りしてお買い物」な夫婦とか親子(母と娘)が山ほど来てたってわけ。
神社から数ブロックは離れたお気に入りの洋食屋さんでランチしたんだけど、そこまで神社に向かう行列の最後尾が来てたの。
日本って、ほんとに少子化なの?
あたしは散歩がてらに買いたいもの買って、食べたいもの食べて帰ってきたんだけど、あんな長い行列に並んで、妊婦さん、大丈夫だったのかしら〜って、要らぬ心配をしてたわ。
それにしても、お洋服を買うなんて、久しぶり!
とっても楽しかったわぁ。
たとえマタニティであっても、新しいお洋服を選ぶのって、いいわね。
今日はトラッド柄のAラインのワンピースと、ベージュのラップスカートを購入。
もうちょっとシックなラップスカートがほしかったんだけど、見つからなかったのよ。
手持ちのラップスカートを直そうかしら、と久しぶりにお針子魂にも火が付いた一日だったわ。
お腹がでかくなってきたのよ!ぎゃぁぁぁ!
すでに、通常からちょっとタイトだったパンツはすでに釦が止まらないわ。
ちょっと太ってた頃の服を引っ張り出して着てるの。
体重は増えてないのに、お腹だけ出てくるって、不思議。
いくらお腹に力を入れても引っ込まないのよねぇ、当たり前? こりゃ失敬。
このまま胸だけ大きくなったら、ダーリンにあんなことやこんなことしてあげようかしら♪って、とあえない希望をもっていたけど、もちろん、粉々に砕け散ったわ。
それにしても、腹が膨らんでくると、いよいよ、
「何か入ってる」感も膨らむわ。
もっと大きくなったら、胎児には積極的に話しかけるとよい、なんて本に書いてあるんだけど、なんて言うのかしら。
あたしの腹の中にいて、内臓と繋がってるくせに、思うだけじゃ伝わらない、声に出さなきゃ相手にはわからないってあたり、しっかり「自分以外の人間」なのねぇって感じがして、面白いわ。
体内に他人がいるんだから、妊娠って、不思議感ばっちりの体験よね。
ところで、腹が出て実質的に困るのがお洋服よ。
経産婦のお友達からマタニティウェアを分けていただいたんだけど、仕事に着ていく服が圧倒的に足りなくなってきたので、マタニティショップにも行ってきたの。
水天宮にあるAngeというお店。
通販をやってるアンジェリーベのショップ。
ネットを見てたら、わりと近かったから、覗いてみようかしらって思い立ったの。
ところが、よ。
日が悪かった、悪すぎたわ!
知ってた?
今日って戌の日だったんですって?
そのうえ、大安。
さらにさらに。
11月3日で「いいお産の日」。
って、皆さん、あたしが決めたんじゃないわ!石を投げないで!
というのも、ショップがあまりに込んでたから、店員さんに聞いたのよ。
そうしたら、上記の話を聞かせてくれて。
東京の方はご存知かもしれないけど、水天宮って、水天宮神社という安産の神社があるところなの。
結局今日は、「お参りしてお買い物」な夫婦とか親子(母と娘)が山ほど来てたってわけ。
神社から数ブロックは離れたお気に入りの洋食屋さんでランチしたんだけど、そこまで神社に向かう行列の最後尾が来てたの。
日本って、ほんとに少子化なの?
あたしは散歩がてらに買いたいもの買って、食べたいもの食べて帰ってきたんだけど、あんな長い行列に並んで、妊婦さん、大丈夫だったのかしら〜って、要らぬ心配をしてたわ。
それにしても、お洋服を買うなんて、久しぶり!
とっても楽しかったわぁ。
たとえマタニティであっても、新しいお洋服を選ぶのって、いいわね。
今日はトラッド柄のAラインのワンピースと、ベージュのラップスカートを購入。
もうちょっとシックなラップスカートがほしかったんだけど、見つからなかったのよ。
手持ちのラップスカートを直そうかしら、と久しぶりにお針子魂にも火が付いた一日だったわ。
世間に負けたくねぇ
2004年10月27日妊婦とは分けてみたわ。
これはフェミ系のお話。
小心者で、実は子リスのように大食らい、じゃなかった、気の弱いあたしは、妊娠したときに、一応、考えたのよ。
嗚呼、産まれてくる子は、もしかしたら、あたしのせいで、義父や弟に祝福されないかもしれない。
生まれたときから、人から疎まれてしまうなんて、なんてかわいそうな子なのかしら!
ってね。
で。
嗚呼、あたしさえ、姓を変えれば、義父も弟も、あたしたちの結婚や出産を受け入れてくれるかもしれない。
ってね。
ところが、だ。
「常識に従えば愛してやるよ、受け入れてやるよって感じで、祝福されたって、なんか、世の中に負けたっぽくてムカツクじゃん」
ですって!
言っとくけど、あたしの台詞じゃないわよ!
あたしの夫だわよ。
嗚呼、やっぱりこの人、あたしの夫なのねぇ
って思ったわ。
そもそも、「赤ん坊は、祝福されなければ」ってのも、どうかと思うのよ。
あたし、子どもの頃、「自分は捨て子だった」妄想に萌えたわよ。「あたしの両親は、道ならぬ恋に落ちた恋人達で、反対されて駆け落ち同然で結婚して、だから自分の誕生を祝福してくれたのは両親だけだったの」
くぅぅ・・・。いいじゃん、ドラマチックで。羨ましいぞ、我が子よ。
確かにね、愛はもらえるほうがベンリだけど、それを目的に生きるのは窮屈。
生きたいように生きられれば、愛されなくたって、別にいいのよ。
愛するのは、やめられないけどね。
これはフェミ系のお話。
小心者で、実は子リスのように大食らい、じゃなかった、気の弱いあたしは、妊娠したときに、一応、考えたのよ。
嗚呼、産まれてくる子は、もしかしたら、あたしのせいで、義父や弟に祝福されないかもしれない。
生まれたときから、人から疎まれてしまうなんて、なんてかわいそうな子なのかしら!
ってね。
で。
嗚呼、あたしさえ、姓を変えれば、義父も弟も、あたしたちの結婚や出産を受け入れてくれるかもしれない。
ってね。
ところが、だ。
「常識に従えば愛してやるよ、受け入れてやるよって感じで、祝福されたって、なんか、世の中に負けたっぽくてムカツクじゃん」
ですって!
言っとくけど、あたしの台詞じゃないわよ!
あたしの夫だわよ。
嗚呼、やっぱりこの人、あたしの夫なのねぇ
って思ったわ。
そもそも、「赤ん坊は、祝福されなければ」ってのも、どうかと思うのよ。
あたし、子どもの頃、「自分は捨て子だった」妄想に萌えたわよ。「あたしの両親は、道ならぬ恋に落ちた恋人達で、反対されて駆け落ち同然で結婚して、だから自分の誕生を祝福してくれたのは両親だけだったの」
くぅぅ・・・。いいじゃん、ドラマチックで。羨ましいぞ、我が子よ。
確かにね、愛はもらえるほうがベンリだけど、それを目的に生きるのは窮屈。
生きたいように生きられれば、愛されなくたって、別にいいのよ。
愛するのは、やめられないけどね。
睡眠づわり
2004年10月27日眠い・・・
眠いわ・・・
つわりがないって書いてたんだけど、最近、異様に眠いのは、つわりの一種だと経産婦の友人に指摘されたの。
現在11週突入。そろそろつわりがおさまる時期らしいけど、眠気去らず。
夜遊び女王のこのあたしが!
9時にはおやすみなさ〜い、なのよ!
ほんの1ヶ月前には、まだ働いてたわよ、ってな時間なのに。
うー、こうやって書いてるあいだも、眠くて眠くて仕方ないの・・・。
ぐー。
じゃなくて。
それにしても、最近、妊娠を知らせてなかった人たちから、夜遊びのお誘いなどが、ぼちぼち掛かり始めて。
基本的に、お友達には安定期に入ってからお知らせしようって思ってたんだけど、そうもいかない感じ。
わざわざ「体調が悪くて」って誤魔化すのも、なんだか、大事っぽくてイヤだからさ、「いやぁ、孕んじゃってさ」って言ってるわ。
嗚呼、でも、そろそろ「社交禁断症状」、出始めてるわ。
ランチにも、カラオケにも、飲みにも行きたい!
とにかく、友達と騒ぎたーい!ぎゃおー!
涙を堪えて、「悔しい・・・、実は・・・」って断りの手紙を書いてるわ。
それにしても、なんつぅか。
離婚とか、結婚とか、妊娠とか。
どうして、あたしの○○報告は、こうやってなし崩しになってしまうのよ〜ぅ。
友達に「なんで、もっと早く知らせないの、薄情者」扱いされるんだけど、納得行かないわ。
なーんて、実は、1月の結婚葉書報告をやっと先日発注したような、のろまぶりだから、言い訳できないわねぇ。
でも、日々の快楽を追うだけで、あたしは目一杯なのよ。
ってなわけで、またもや睡眠快楽地獄に落ちます。
ぐんない。
眠いわ・・・
つわりがないって書いてたんだけど、最近、異様に眠いのは、つわりの一種だと経産婦の友人に指摘されたの。
現在11週突入。そろそろつわりがおさまる時期らしいけど、眠気去らず。
夜遊び女王のこのあたしが!
9時にはおやすみなさ〜い、なのよ!
ほんの1ヶ月前には、まだ働いてたわよ、ってな時間なのに。
うー、こうやって書いてるあいだも、眠くて眠くて仕方ないの・・・。
ぐー。
じゃなくて。
それにしても、最近、妊娠を知らせてなかった人たちから、夜遊びのお誘いなどが、ぼちぼち掛かり始めて。
基本的に、お友達には安定期に入ってからお知らせしようって思ってたんだけど、そうもいかない感じ。
わざわざ「体調が悪くて」って誤魔化すのも、なんだか、大事っぽくてイヤだからさ、「いやぁ、孕んじゃってさ」って言ってるわ。
嗚呼、でも、そろそろ「社交禁断症状」、出始めてるわ。
ランチにも、カラオケにも、飲みにも行きたい!
とにかく、友達と騒ぎたーい!ぎゃおー!
涙を堪えて、「悔しい・・・、実は・・・」って断りの手紙を書いてるわ。
それにしても、なんつぅか。
離婚とか、結婚とか、妊娠とか。
どうして、あたしの○○報告は、こうやってなし崩しになってしまうのよ〜ぅ。
友達に「なんで、もっと早く知らせないの、薄情者」扱いされるんだけど、納得行かないわ。
なーんて、実は、1月の結婚葉書報告をやっと先日発注したような、のろまぶりだから、言い訳できないわねぇ。
でも、日々の快楽を追うだけで、あたしは目一杯なのよ。
ってなわけで、またもや睡眠快楽地獄に落ちます。
ぐんない。
発情妊婦
2004年10月17日ってタイトルつけて思ったんだけど、漢字って、なんだかスゴイわね。
あたしは、常々、AVのタイトルの多様さに感動を禁じえないんだけど、妊婦ってのも、結構エロいのねぇ・・・。
っつぅわけで、やっと診察等の事実メモが済んだので、ここらでちょっと妊婦生活のシモの話もしてみようかと思うなみこです。
あたし、実は、妊娠したら発情しなくなるんじゃないかって、ちょっと期待してたのよ。
性欲のない生活!(想像できねぇ)
それが体験できるのかしら、と。
でもね。
甘かったわ・・・。
性欲、ありまくりよ!
人間が生殖のために性交するなんて、やっぱり嘘なんじゃないかしら。
だって、絶対次の妊娠がありえないこの時期に、なんで、発情するのさ。
ああああん!
このほてった妊婦の体をどうにかして!
って、妊婦って体温高いんだけどね、実際。
まぁ、順当な意見として、じゃ、えっちすりゃいいじゃん、って思うでしょ。
でもね、でもね、一度流産していて、今も腹痛はたまにある身としては、初期のうちは一応、控えた方がいいらしいのよ。
妊婦さんたちの中には、自分ができない間、旦那には口や手でして差し上げる方がいらっしゃるそうなんだけど・・・。
多分、夫にとってはそれでいいんだと思うんだけど・・・。
でも、他ならぬあたし!
あたし自身が、それでおさまる自信がないのよ!
だって、目の前で勃ってるのよ!?
咥えてるだけで十分自分も潤うじゃないさ!
だったら!
勃ってりゃ入れるでしょう!?そうでしょう!?(錯乱)
・・・失礼しました。
だからねぇ、今のところ、一切をタブーにしてるのよ。
その一口が豚のモト。
ダイエットと一緒よね。
でね、じゃあと思って、一人えっちを考えたのよ。
え?一切がタブーじゃないじゃんか?って。
五月蝿いわよ。
ダイエットと断食は別でしょ。それと同じよ!
で。
オカズも、お気に入りのローターも揃えて。
一応、バイブはやめとけばいいかと慎重作を取ってさ。
いざ!
嗚呼、この感覚・・・久しぶり・・・ああああん。
って、ところが!
初めてすぐ、膣の奥が、ぎゅぎゅぎゅぎゅぅぅぅって痛くなるのよ!
これって、やばいのかも、もしかして!
何かあったら、医者にどう言おう。
「オナニーして流産しました」って股間晒しながら言うのは、ちょっと恥ずかしいかも。ああん、でもその羞恥プレイ、ちょっといいかも・・・って、そんなことで盛り上がってる場合じゃない!
げげっと思って、すぐやめた・・・
わけないじゃない!
わかるわよね?
やり始めたモンをやめられるもんかってのよ!
痛い痛いと思いながら、結局、行き着くとこまでやっちゃいました。
で、やり終わってから一応反省。
これだけの禁欲生活だと、一人えっちくらいは存分にやらないと、はっきり言っておさまらないんだけど、欲望のままにやるのは、なんとなくやばそうな気がしてるの。
だから、不本意ながら、一人えっちも減量よ。
きぃぃぃぃ。
ハンカチの端を食い破りそうになるほど、溜まってるわ!
おまけに!
先週、用事があって秋葉原に行ったら、ちょうど各社のゲームの発売日でさ。
店のあちこちには「隷」だの「性」だの「姦」だのの文字が躍るポスターがいっぱい・・・。
おまけにメイドカフェやアダルトグッズ屋の広告でコスプレ娘がいっぱいいるのよ。
もう、目の毒じゃないのさ。
魅惑のアダルトスポットも大好きなエロゲーも、今じゃあたしを中途半端に苦しめるばかり・・・。
嗚呼、早く安定期に入って、普通にえっちしたい・・・。
切ない・・・。
そんな表情で店頭にたたずむあたしを、夫が遠くから見守ってくれていたわ(近くには寄りたくなかったらしいの、失礼ね!)。
妊娠したら発情しなくなる妊婦さんが、本当に羨ましい今日この頃です。
あたしは、常々、AVのタイトルの多様さに感動を禁じえないんだけど、妊婦ってのも、結構エロいのねぇ・・・。
っつぅわけで、やっと診察等の事実メモが済んだので、ここらでちょっと妊婦生活のシモの話もしてみようかと思うなみこです。
あたし、実は、妊娠したら発情しなくなるんじゃないかって、ちょっと期待してたのよ。
性欲のない生活!(想像できねぇ)
それが体験できるのかしら、と。
でもね。
甘かったわ・・・。
性欲、ありまくりよ!
人間が生殖のために性交するなんて、やっぱり嘘なんじゃないかしら。
だって、絶対次の妊娠がありえないこの時期に、なんで、発情するのさ。
ああああん!
このほてった妊婦の体をどうにかして!
って、妊婦って体温高いんだけどね、実際。
まぁ、順当な意見として、じゃ、えっちすりゃいいじゃん、って思うでしょ。
でもね、でもね、一度流産していて、今も腹痛はたまにある身としては、初期のうちは一応、控えた方がいいらしいのよ。
妊婦さんたちの中には、自分ができない間、旦那には口や手でして差し上げる方がいらっしゃるそうなんだけど・・・。
多分、夫にとってはそれでいいんだと思うんだけど・・・。
でも、他ならぬあたし!
あたし自身が、それでおさまる自信がないのよ!
だって、目の前で勃ってるのよ!?
咥えてるだけで十分自分も潤うじゃないさ!
だったら!
勃ってりゃ入れるでしょう!?そうでしょう!?(錯乱)
・・・失礼しました。
だからねぇ、今のところ、一切をタブーにしてるのよ。
その一口が豚のモト。
ダイエットと一緒よね。
でね、じゃあと思って、一人えっちを考えたのよ。
え?一切がタブーじゃないじゃんか?って。
五月蝿いわよ。
ダイエットと断食は別でしょ。それと同じよ!
で。
オカズも、お気に入りのローターも揃えて。
一応、バイブはやめとけばいいかと慎重作を取ってさ。
いざ!
嗚呼、この感覚・・・久しぶり・・・ああああん。
って、ところが!
初めてすぐ、膣の奥が、ぎゅぎゅぎゅぎゅぅぅぅって痛くなるのよ!
これって、やばいのかも、もしかして!
何かあったら、医者にどう言おう。
「オナニーして流産しました」って股間晒しながら言うのは、ちょっと恥ずかしいかも。ああん、でもその羞恥プレイ、ちょっといいかも・・・って、そんなことで盛り上がってる場合じゃない!
げげっと思って、すぐやめた・・・
わけないじゃない!
わかるわよね?
やり始めたモンをやめられるもんかってのよ!
痛い痛いと思いながら、結局、行き着くとこまでやっちゃいました。
で、やり終わってから一応反省。
これだけの禁欲生活だと、一人えっちくらいは存分にやらないと、はっきり言っておさまらないんだけど、欲望のままにやるのは、なんとなくやばそうな気がしてるの。
だから、不本意ながら、一人えっちも減量よ。
きぃぃぃぃ。
ハンカチの端を食い破りそうになるほど、溜まってるわ!
おまけに!
先週、用事があって秋葉原に行ったら、ちょうど各社のゲームの発売日でさ。
店のあちこちには「隷」だの「性」だの「姦」だのの文字が躍るポスターがいっぱい・・・。
おまけにメイドカフェやアダルトグッズ屋の広告でコスプレ娘がいっぱいいるのよ。
もう、目の毒じゃないのさ。
魅惑のアダルトスポットも大好きなエロゲーも、今じゃあたしを中途半端に苦しめるばかり・・・。
嗚呼、早く安定期に入って、普通にえっちしたい・・・。
切ない・・・。
そんな表情で店頭にたたずむあたしを、夫が遠くから見守ってくれていたわ(近くには寄りたくなかったらしいの、失礼ね!)。
妊娠したら発情しなくなる妊婦さんが、本当に羨ましい今日この頃です。
妊娠9週雑感
2004年10月16日なんだか不思議な気分がするわ。
先週の火曜日の診察、異常なし、だったの。
なんていうか、妊娠とか出産って、あたしの人生のなかで、なんとなぁく、遠いところにあるって気がしたからさ、また流産ですって言われても、「あら、やっぱり?」ってな気分になりそうなトコロもあるのよね。
でも、異常なしだったの。
ありがたいことだわね。
で。
週数と予定日を一旦確定。出産予定日は5月15日ですって!
1!
5!
あぁん!
あたし、1と5って好きな数字なのよ!
悶えちゃう!
奇数の、しかも、素数が好きなの、あたし。
この子とは、不思議な縁があるのかもしれないわね。
さて、そういうわけで、もらってきました。
じゃじゃん。
母子手帳よ!
あたしの住んでる区って、いわゆるファミリー色がめっちゃ薄いオフィス街。
だから、ちょっと期待したの。
母子手帳、表紙、シックだといいんだケドって。
だってもし、表紙にデフォルメされた犬だの熊だの兎だのが無表情に踊ってたらどうするよ!
幸せそうなダサい服のお母さんと、明らかに太りすぎの笑ってる幼児がいたらどうするよ!
きゃー!「箪笥」より怖い!
って、どうもしないんだけどさ。
で、区の出張所に「妊娠届け」を出しに。
週数と出産予定日、住所、年齢等を記入。
そうしたら、母子手帳とか妊婦検診のための複写式の用紙とか両親学級の案内とかくれたわ。
で、問題の母子手帳。
結局、黄色い表紙に、いかにも区役所っぽい変な親子が描かれてるシロモノでした。
こんなとこにお金かけなくていいからさぁ、黒とか茶色一色でいいって。
って言ったら、夫に「黒はまずいだろ」って言われました。
あぁん、黒が縁起悪いってんなら、この際、赤一色でもいいんだけど(ただし、素敵な赤じゃなきゃイヤ)。
ちなみに、通常の「母親学級」を、うちの区は父親が参加することも考慮して「両親学級」と銘打っているそうな。
あぁん、ここにも自意識の香りが。
すてき。
でも、だったら、実親が参加しないかもしれないことを考慮して、いっそ、「保護者学級」とか「養育者学級」とかにすればいいのになー。
それから、あたし、年食ってて得しました!
出産時一定年齢以上の妊婦は、検診がさらに安くなるらしいぞ!
いえーい。
妊婦って守られてるのねぇ。
あとあと、面白かったのは。
「Baby In Me」と描かれた缶バッジとステッカーをもらったこと。
あたし的には「胎児在中」のほうがそそるんだけど。
妊娠初期や中期はまだお腹も目立たなくて妊婦ってわかってもらえないから、電車内や人ごみで配慮してもらえるように、身に着けてくださいって趣旨だそうな。
ただ腹が膨れてる妊婦にすら席譲らない人間、多いからねぇ。
その代わり、妊婦が座ってる正面に年寄りが立ったら、それを見せて、周囲の目を気にせずに済むかもね。
そんなわけで、職場の皆にも一応、ご報告。
おめでとう。
大事にしてねー。
仕事、無理しないでね。
やったー、年金の担い手が一人増えたー。
こんな多忙なとこで産めば、若い女性の希望になるわよぉ。
などなど、反応いろいろ。
で。そこで担当者から聞いて始めて知ったんだけど、妊婦って通勤緩和のために出勤時間を遅くしたり、退社時間を早くしたりすることができて。
しかも!
その短くなった分もお給料が出るんですって!
それって、働いてないのに、お金もらえるってコト?
呆然。
あたし、悩んじゃったわよ。
いや、制度としてはあったほうがいいような気がする。
だって、もしあたしがシングルだったり、夫が専業主夫だったりして、日々のお給料がすごく安くて貯金もなくて、でも妊娠しちゃって産むことになって、妊娠状況が順調じゃなくて体を大事にしなきゃいけない状況だったら、それは死活問題だと思うのよ。
だけどさぁ。
正直言って、今のあたしが、それしちゃったら、ズルくない?
だって、あたしが子ども産むのって、完全にあたしの好奇心の範疇よ。
別に社会のためだと思って産むわけじゃないし、夫婦の将来の幸福に欠かせないと思って産むわけでもないし。
なのに、なんでそんな個人的な行為に会社なり厚生年金なりがお金払ってくれるわけ。
もともと、会社の結婚祝い金とか児童手当金とかも、あたし、あんまり好きじゃないのよ。
なんか、みんなのために、結婚して出産してるってコトにされそうでさ。
でも一方で。
あたし、自分が学生の頃、父親が長期入院してさ、そのあいだ、お給料払ってくれた会社に、ほんとに救われてるわけよ。
だからねー。
うーん。
とりあえず、今は残業だけ免除してもらって、普通に働いてるし、たまに残業になってもサービスにしちゃってるわ。
これも、どうだかとは思うけどさぁ。
だって、あたしは、できるだけ自分の納得のいく金の代償で働きたいんだもーん。多すぎても少なすぎても、イヤなの。
あーん、やっかいなセコいプライドだこと!
思うところはいろいろあるけど、とりあえず、今日はここまで。
そうそう!
遅ればせながら、リンクしてくださったプリンさん、どーるさん、水前寺清さん、naoさん、ありがとうございました!
こんな更新率の悪い日記をリンクしてくださって、ホントにありがとう。
自分で言うのもなんだけど、最近、堅い内容が多くて、ちょっとつまらないかもしれないわ。ごめんなさいね。
ちなみに、秘密日記の機能は現在使用しておりません。
こちらも、ごめんなさいね。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。
先週の火曜日の診察、異常なし、だったの。
なんていうか、妊娠とか出産って、あたしの人生のなかで、なんとなぁく、遠いところにあるって気がしたからさ、また流産ですって言われても、「あら、やっぱり?」ってな気分になりそうなトコロもあるのよね。
でも、異常なしだったの。
ありがたいことだわね。
で。
週数と予定日を一旦確定。出産予定日は5月15日ですって!
1!
5!
あぁん!
あたし、1と5って好きな数字なのよ!
悶えちゃう!
奇数の、しかも、素数が好きなの、あたし。
この子とは、不思議な縁があるのかもしれないわね。
さて、そういうわけで、もらってきました。
じゃじゃん。
母子手帳よ!
あたしの住んでる区って、いわゆるファミリー色がめっちゃ薄いオフィス街。
だから、ちょっと期待したの。
母子手帳、表紙、シックだといいんだケドって。
だってもし、表紙にデフォルメされた犬だの熊だの兎だのが無表情に踊ってたらどうするよ!
幸せそうなダサい服のお母さんと、明らかに太りすぎの笑ってる幼児がいたらどうするよ!
きゃー!「箪笥」より怖い!
って、どうもしないんだけどさ。
で、区の出張所に「妊娠届け」を出しに。
週数と出産予定日、住所、年齢等を記入。
そうしたら、母子手帳とか妊婦検診のための複写式の用紙とか両親学級の案内とかくれたわ。
で、問題の母子手帳。
結局、黄色い表紙に、いかにも区役所っぽい変な親子が描かれてるシロモノでした。
こんなとこにお金かけなくていいからさぁ、黒とか茶色一色でいいって。
って言ったら、夫に「黒はまずいだろ」って言われました。
あぁん、黒が縁起悪いってんなら、この際、赤一色でもいいんだけど(ただし、素敵な赤じゃなきゃイヤ)。
ちなみに、通常の「母親学級」を、うちの区は父親が参加することも考慮して「両親学級」と銘打っているそうな。
あぁん、ここにも自意識の香りが。
すてき。
でも、だったら、実親が参加しないかもしれないことを考慮して、いっそ、「保護者学級」とか「養育者学級」とかにすればいいのになー。
それから、あたし、年食ってて得しました!
出産時一定年齢以上の妊婦は、検診がさらに安くなるらしいぞ!
いえーい。
妊婦って守られてるのねぇ。
あとあと、面白かったのは。
「Baby In Me」と描かれた缶バッジとステッカーをもらったこと。
あたし的には「胎児在中」のほうがそそるんだけど。
妊娠初期や中期はまだお腹も目立たなくて妊婦ってわかってもらえないから、電車内や人ごみで配慮してもらえるように、身に着けてくださいって趣旨だそうな。
ただ腹が膨れてる妊婦にすら席譲らない人間、多いからねぇ。
その代わり、妊婦が座ってる正面に年寄りが立ったら、それを見せて、周囲の目を気にせずに済むかもね。
そんなわけで、職場の皆にも一応、ご報告。
おめでとう。
大事にしてねー。
仕事、無理しないでね。
やったー、年金の担い手が一人増えたー。
こんな多忙なとこで産めば、若い女性の希望になるわよぉ。
などなど、反応いろいろ。
で。そこで担当者から聞いて始めて知ったんだけど、妊婦って通勤緩和のために出勤時間を遅くしたり、退社時間を早くしたりすることができて。
しかも!
その短くなった分もお給料が出るんですって!
それって、働いてないのに、お金もらえるってコト?
呆然。
あたし、悩んじゃったわよ。
いや、制度としてはあったほうがいいような気がする。
だって、もしあたしがシングルだったり、夫が専業主夫だったりして、日々のお給料がすごく安くて貯金もなくて、でも妊娠しちゃって産むことになって、妊娠状況が順調じゃなくて体を大事にしなきゃいけない状況だったら、それは死活問題だと思うのよ。
だけどさぁ。
正直言って、今のあたしが、それしちゃったら、ズルくない?
だって、あたしが子ども産むのって、完全にあたしの好奇心の範疇よ。
別に社会のためだと思って産むわけじゃないし、夫婦の将来の幸福に欠かせないと思って産むわけでもないし。
なのに、なんでそんな個人的な行為に会社なり厚生年金なりがお金払ってくれるわけ。
もともと、会社の結婚祝い金とか児童手当金とかも、あたし、あんまり好きじゃないのよ。
なんか、みんなのために、結婚して出産してるってコトにされそうでさ。
でも一方で。
あたし、自分が学生の頃、父親が長期入院してさ、そのあいだ、お給料払ってくれた会社に、ほんとに救われてるわけよ。
だからねー。
うーん。
とりあえず、今は残業だけ免除してもらって、普通に働いてるし、たまに残業になってもサービスにしちゃってるわ。
これも、どうだかとは思うけどさぁ。
だって、あたしは、できるだけ自分の納得のいく金の代償で働きたいんだもーん。多すぎても少なすぎても、イヤなの。
あーん、やっかいなセコいプライドだこと!
思うところはいろいろあるけど、とりあえず、今日はここまで。
そうそう!
遅ればせながら、リンクしてくださったプリンさん、どーるさん、水前寺清さん、naoさん、ありがとうございました!
こんな更新率の悪い日記をリンクしてくださって、ホントにありがとう。
自分で言うのもなんだけど、最近、堅い内容が多くて、ちょっとつまらないかもしれないわ。ごめんなさいね。
ちなみに、秘密日記の機能は現在使用しておりません。
こちらも、ごめんなさいね。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。
妊娠7週雑感
2004年10月3日妊娠はどうやら軌道に乗ったらしく順調よ。
二回目の診察も同じ男性医師。
今後はドクターグレイと呼んで差し上げましょう。
ドクターグレイったら、あたしがどきどきしながら診察室に入ったら、開口一番。
「今日で決まりだね」
ですって。
「うわー、言わないでくださいよー」って叫んだら、笑ってたわ。
で。
経膣エコーで見たら、ばっちり、胎嚢のなかに胎芽と卵黄嚢が。
「うん。順調だね。おめでとう!」
って言われて、はじめてドクターグレイを気に入ったわ、あたし。
ただし、心拍を計ったところ、予想よりちょっと低め。
大きさは7週だと思うけど、心拍は6週くらいなんですって。
しかも、ドクターグレイは、あたしのいないところで看護婦さんに
「子宮筋腫がなー」とか言ってるのよ。
失礼しちゃう。
あたしに言いなさいよ、あたしに。
まあ、とは言っても、子宮筋腫は妊娠しちゃったら手術もなかなかできないので、経過観察がメイン。だから、そこは、今回突っ込まなかったわ。
で、一応、今度の火曜日にもう一回診察を受けて、順調だったら、もう一度予定日を出しましょうってことになったの。
ま、おかげさまで出血も腹痛もなく。
あろうことか、つわりもほとんどなく。
体調がいいから、もっと仕事したい・・・とちょっとじりじりはするんだけど、新任の子に管理者の役目も引き継いで、マイペースの生活をしてるわ。
そんな感じだから、妊婦としての自覚、あるんだかないんだか、って感じよ。
昔、結婚するってどういうことかって話を友達としたことがあったの。
そのとき、要素の一つとして上がったのが、「自分じゃない人間を核とする人間関係を一つ、余分に背負い込むこと」っていう意見。
確かに、二度の結婚を経て思うんだけど、やっぱり相手の家族、友人、エトセトラが自分に関わってくるっていうのは、それなりに大きいわ。
未だに結婚報告葉書を親戚にばらまいていないあたしとしては、その葉書に姓や宗教のことを書くべきかどうか、まだ迷ってるし。
それでなくても、他人に理解されがたいマイナーな価値観を持っていると、通常であれば省けるような手間について、どう対処したらいいか、いちいち考えて判断しなきゃならないのが面倒ね。まあ、おかげで、いろいろ考える楽しみってのはあるんだけど。
で。
子どもを産むってコトは、もう一つ、人間関係が増えるってことなのよね。
あたしは、はっきり言って、自分の人生のなかで、もっとも暗い時代だったのが、小学校中学校時代だったわ。
あたしは頭でっかちの優等生で、周りの子と興味や話が全然合わなかったし、ほとんどの先生とも馴染まなかったもの。
明るくなってきたのは、高校時代から。要するに、自分で所属するグループを選択できるようになってからなのよ。
我ながら、不寛容な人間性を証明している軌跡だと思うんだけど、所謂負け犬系(たとえ結婚していて子どもを産んでいたとしても、勝ち犬というよりは、なんとなくみんな、負け犬に近い気がする・・・なぜ?)友人のなかで快適に過ごしてきたわけよ。
ところが、よ。
今度、子どもを産んだら、一気にまた小学校中学校時代の人間関係に舞い戻ることになるんじゃないかしら。
現にあたしの友達は「いくら保育園に預ける母親が増えたって言っても、フルタイムで普通に働いてる女はみんなキャリアウーマンだと思われるくらいに数が少ないんだって、初めて知った・・・」って呆然としてたのよねぇ・・・。
子どもを産んでるような人間のなかに、あたしみたいに、姓にこだわってたり、旦那に家事を押し付けてたり、フェミフェミ言ってたり、子どもを産むもっとも大きな動機は好奇心だったり、相手の親と断絶してたりする人って、どれくらいいるのかしら・・・。
なーんて考えたりしてるわ。
のんきな話ね。
ま、あたしも、いい加減30も超えたんだから、興味のない話でも、多少はつきあえるようになってるでしょ。
そして子どもを核にする人間関係のもう一つといったら、両家の祖父母や親戚よねぇ。
これがどうなるものか、今のあたしには皆目見当がつかないわ。「最終兵器・孫」をしても相手の父親と和解できない場合は、まあ、諦めもつくというものでしょう。
そしてまた、今揉めている弟夫婦の子どもは、初めての「いとこ」になるわけよ。子ども同士屈託なく仲良くなればいいけど、子どもが子供同士だからって理由だけで仲良くなれるわけがないことは、暗黒の幼少期を送ったあたしには自明のこと。
うまくさばける子になってくれることを祈るわ。
なんて言ったって、あたしが子どもに一番望んでいるのは、美しさでも賢さでも優しさでもなく「要領のよさ」なのよ!
人生、世渡り上手の勝ちなんだから、せいぜい、幼少期から揉まれて要領のいい子に育ってほしいわ。
(ちなみに、夫からはこの望みは誰にも言わないように、口止めされてるの)
とは言え、子どもが本当に無事に生まれるのかも含めて、先のことなんてわからないものよね。
そして、人間ができあがっていく過程を見たいという私にとって、わからないということこそ、出産する甲斐でもあるわ。
子どもの頃のあたしは、できるだけ人間関係を狭くして、自分だけの世界に住みたいと望んだし、今のあたしのなかにも、そういう望みがあるの。
でも、大人になって多少変わったことといえば、そう望みつつも、自分の世界に乱暴に踏み込んでくる他人の存在を分析したり、その他人に共感したりする楽しみを見つけたことよ。
そのことで、世の中から、怖いものは随分減ったわ。
未経験のこと、未遭遇の人々と会うことは、恐怖ではなくなったわ。
逆に、面白いことは、格段に増えたわね。
子どもが生まれて、あたしが今まで経験しなかった、どんなことが起こるのか、「不安だけどもうどうしようもない」という状況に自分を置いて、本当によかったと思うわ。
二回目の診察も同じ男性医師。
今後はドクターグレイと呼んで差し上げましょう。
ドクターグレイったら、あたしがどきどきしながら診察室に入ったら、開口一番。
「今日で決まりだね」
ですって。
「うわー、言わないでくださいよー」って叫んだら、笑ってたわ。
で。
経膣エコーで見たら、ばっちり、胎嚢のなかに胎芽と卵黄嚢が。
「うん。順調だね。おめでとう!」
って言われて、はじめてドクターグレイを気に入ったわ、あたし。
ただし、心拍を計ったところ、予想よりちょっと低め。
大きさは7週だと思うけど、心拍は6週くらいなんですって。
しかも、ドクターグレイは、あたしのいないところで看護婦さんに
「子宮筋腫がなー」とか言ってるのよ。
失礼しちゃう。
あたしに言いなさいよ、あたしに。
まあ、とは言っても、子宮筋腫は妊娠しちゃったら手術もなかなかできないので、経過観察がメイン。だから、そこは、今回突っ込まなかったわ。
で、一応、今度の火曜日にもう一回診察を受けて、順調だったら、もう一度予定日を出しましょうってことになったの。
ま、おかげさまで出血も腹痛もなく。
あろうことか、つわりもほとんどなく。
体調がいいから、もっと仕事したい・・・とちょっとじりじりはするんだけど、新任の子に管理者の役目も引き継いで、マイペースの生活をしてるわ。
そんな感じだから、妊婦としての自覚、あるんだかないんだか、って感じよ。
昔、結婚するってどういうことかって話を友達としたことがあったの。
そのとき、要素の一つとして上がったのが、「自分じゃない人間を核とする人間関係を一つ、余分に背負い込むこと」っていう意見。
確かに、二度の結婚を経て思うんだけど、やっぱり相手の家族、友人、エトセトラが自分に関わってくるっていうのは、それなりに大きいわ。
未だに結婚報告葉書を親戚にばらまいていないあたしとしては、その葉書に姓や宗教のことを書くべきかどうか、まだ迷ってるし。
それでなくても、他人に理解されがたいマイナーな価値観を持っていると、通常であれば省けるような手間について、どう対処したらいいか、いちいち考えて判断しなきゃならないのが面倒ね。まあ、おかげで、いろいろ考える楽しみってのはあるんだけど。
で。
子どもを産むってコトは、もう一つ、人間関係が増えるってことなのよね。
あたしは、はっきり言って、自分の人生のなかで、もっとも暗い時代だったのが、小学校中学校時代だったわ。
あたしは頭でっかちの優等生で、周りの子と興味や話が全然合わなかったし、ほとんどの先生とも馴染まなかったもの。
明るくなってきたのは、高校時代から。要するに、自分で所属するグループを選択できるようになってからなのよ。
我ながら、不寛容な人間性を証明している軌跡だと思うんだけど、所謂負け犬系(たとえ結婚していて子どもを産んでいたとしても、勝ち犬というよりは、なんとなくみんな、負け犬に近い気がする・・・なぜ?)友人のなかで快適に過ごしてきたわけよ。
ところが、よ。
今度、子どもを産んだら、一気にまた小学校中学校時代の人間関係に舞い戻ることになるんじゃないかしら。
現にあたしの友達は「いくら保育園に預ける母親が増えたって言っても、フルタイムで普通に働いてる女はみんなキャリアウーマンだと思われるくらいに数が少ないんだって、初めて知った・・・」って呆然としてたのよねぇ・・・。
子どもを産んでるような人間のなかに、あたしみたいに、姓にこだわってたり、旦那に家事を押し付けてたり、フェミフェミ言ってたり、子どもを産むもっとも大きな動機は好奇心だったり、相手の親と断絶してたりする人って、どれくらいいるのかしら・・・。
なーんて考えたりしてるわ。
のんきな話ね。
ま、あたしも、いい加減30も超えたんだから、興味のない話でも、多少はつきあえるようになってるでしょ。
そして子どもを核にする人間関係のもう一つといったら、両家の祖父母や親戚よねぇ。
これがどうなるものか、今のあたしには皆目見当がつかないわ。「最終兵器・孫」をしても相手の父親と和解できない場合は、まあ、諦めもつくというものでしょう。
そしてまた、今揉めている弟夫婦の子どもは、初めての「いとこ」になるわけよ。子ども同士屈託なく仲良くなればいいけど、子どもが子供同士だからって理由だけで仲良くなれるわけがないことは、暗黒の幼少期を送ったあたしには自明のこと。
うまくさばける子になってくれることを祈るわ。
なんて言ったって、あたしが子どもに一番望んでいるのは、美しさでも賢さでも優しさでもなく「要領のよさ」なのよ!
人生、世渡り上手の勝ちなんだから、せいぜい、幼少期から揉まれて要領のいい子に育ってほしいわ。
(ちなみに、夫からはこの望みは誰にも言わないように、口止めされてるの)
とは言え、子どもが本当に無事に生まれるのかも含めて、先のことなんてわからないものよね。
そして、人間ができあがっていく過程を見たいという私にとって、わからないということこそ、出産する甲斐でもあるわ。
子どもの頃のあたしは、できるだけ人間関係を狭くして、自分だけの世界に住みたいと望んだし、今のあたしのなかにも、そういう望みがあるの。
でも、大人になって多少変わったことといえば、そう望みつつも、自分の世界に乱暴に踏み込んでくる他人の存在を分析したり、その他人に共感したりする楽しみを見つけたことよ。
そのことで、世の中から、怖いものは随分減ったわ。
未経験のこと、未遭遇の人々と会うことは、恐怖ではなくなったわ。
逆に、面白いことは、格段に増えたわね。
子どもが生まれて、あたしが今まで経験しなかった、どんなことが起こるのか、「不安だけどもうどうしようもない」という状況に自分を置いて、本当によかったと思うわ。